新井秀校長説教集27 ~狭き門から入りなさい~

2020年6月10日(水)
朝の礼拝

〈狭き門から入りなさい〉 『マタイ』7:13~14

1 はじめに

私が初めて「狭い門から入りなさい」というイエス様の言葉に出会ったのは、高校2年生の時でした。アンドレ・ジイドの書いた『狭き門』という小説を読んだ時です。本の表紙を開けると、『ルカ』13:24から古い文語訳で、「力を尽くして狭き門より入(い)れ」と書かれてありました。高校生ながらに、狭き門とは一体何なのだろうと思いました。難関大学に合格するとか司法試験に合格するというようなことではなく、イエス様のこの言葉は、何か人の生き方・考え方に深く関わることではないかと思いました。 人間には大切な二つの軸があります。縦軸と横軸です。縦軸とは私と神様の関係、横軸とは私と他の人の関係です。ルース・ベネディクトが著書『菊と刀』で言うように、多くの日本人は、縦軸への関心、即ち、私と神との関係には関心がなく、従って罪の意識は希薄である。でも常に自分を他者と比較し、自分がとても他者と違っていること・著しく劣っていることを恥と思う気持ちが強いようです。

イエス様は狭い門から入るのは、①入口がとても狭い、②道がとても細い、③それを見いだし、その門を入っていく者が極めて少ない、④でもその道は命に通じる、と言っています。 逆に広い門は、①門は広く、②道は広々としていて、③そこから入る者が多い、④でもその道は滅びに至ると警告しています。

2 林文雄先生の人生に学ぶ

林文雄先生は、1900年に札幌に生まれました。父親の林竹治郎さんは、画家であり、教育者であり、熱心で厳格な明治のクリスチャンでした。夕食の前には家族を前に、聖書を読み、短く話をし、祈ってから食事をするという家庭でした。そのような家に育った文雄青年は、北大医学部に入り、医者になることを夢見ていました。成績優秀で、卒業すると北大医学部研究所の助手に抜擢されました。将来教授になることが約束されたようなものです。でも林先生は、クリスチャンとして、イエス・キリストが生きられたように自分も生きたいと思いました。そして医者としての自分は、

① 最も人手の足りないところ

② 人のもっとも嫌がるところ

③ 最も苦しむ病人のいるところ

この三つが揃っているところへ行って働こうと決心しました。そいうところはライ病院でした。ライ病は、身体が腐り、目が見えなくなり、耳は聞こえなくなり、手や足の皮膚が崩れ落ちてしまう、恐ろしい病気でした。林さんは、両親の反対を押し切り、結婚を約束した恋人とも別れて、東京北多摩にある「全生園(ぜんせいえん)で働き始めました。あまりに一生懸命働いたのと、若い頃肋膜炎に罹り丈夫な身体ではなかったこと、診察だけでなく研究論文の執筆に忙しかったことなどが重なり、46歳の若さで亡くなってしまいました。一身をライ患者のために捧げた人生でした。ある患者は涙ながらに「林先生は、私たちが食べるつもりでふかしたさつま芋を、たくさん食べて下さったんですよ。

うまいうまいと言ってね、二つも三つも食べて下さったんですよ」と語っています。林先生はお医者さんであるよりも、患者のお友だちだったのです。

林先生の遺言はカタカナで書いた「コンナ コーフクナ モノハ ナシ」でした。遺体は若い医学生のために検体されました。

私などにはとても真似の出来ない林先生の生き方ですが、これが、イエス様の「狭い門から入りなさい」という教えに忠実に従った一人の人生であります。