新井秀校長説教集29~耳が聞こえず舌の回らない人をいやす~

2020年6月29日(月)

朝 の 説 教

-耳が聞こえず舌の回らない人をいやす-『マルコ』7章31節~37節

・はじめに・・・イエス様と弟子たちは、長い伝道旅行を終えて、久しぶりにガリラヤ湖に戻って来ました。すると人々が、耳が聞こえず口がきけない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願いました。「手当て」です。手の平は適度な温度と湿気があり、静電気も発しますので、手を当てることで患部の血行を良くし、時には病気を癒す効果があります。人々とは、この病人の友達かもしれません。何とか耳も口も使えない友達の病気を、今評判のイエス様に癒して欲しいと思ったのでしょう。イエス様は「エッファタ!」(開け)と言ってその病気を癒されました。

・今日の聖書で私の心に第一に響くのは「耳がきこえず」ということです。すぐ作曲家ベートーベンのことを思い出すのです。彼は20代から耳が悪かったのですが、28歳の時、完全に聞こえなくなってしまいました。音が聞こえないのは音楽家には致命傷です。絶望した彼は自殺しようとしました。「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる彼の遺書が今も残されています。しかし神様・イエス様を信じるベートーベンは、苦しみの中から神を仰ぎ、あくまで作曲家として生き抜く決意をしました。彼の必死の祈りに対する神様の答えは、「失ったのは肉体の耳だけではないか。お前には心の耳がある。心の耳はもっと鮮やかに音を聞き取ることができる。作曲に励め!素晴らしい曲を作れ!」でした。

その答えに励まされたベートーベンは、「英雄」・「運命」・「田園」・「合唱付き」・「荘厳ミサ曲」等、文豪ロマン・ローランが「傑作の森」と名付けたような名曲を次々と世に出したのです。このように、ベートーベンの永遠に残る名曲の大部分は、彼が聴力を失ってから作られたものなのです。驚くべきことです!

3.次に興味を引くのはイエス様の癒し方です。「シリア・フェニキアの女」では、イエス様は病気の少女には触れもせず、母親の真剣さ・愛に圧倒され、リモートコントロールのように遠く離れた所にいた少女の病を癒しました。でも今日は違います。①「イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、②ご自分の指をその両耳に入れ、③自分の手に唾をつけて病人の舌に触れ、④天を仰ぎ、⑤深く息をつき、⑥その人に向って「エッファタ」と言って癒されたのです。随分手が込んでいます。『ヨハネ』9章に、生まれながらの盲人を癒す記事があるのですが、そこでもイエス様は、泥に唾をかけてこね、その泥を見えない目の上に塗り付け、「シロアムの池」に行って洗わせて病気を癒されました。神の子であるイエス様には病気の癒しなど簡単なことのように思われますが、決してそうではなかったのです。天を仰いで神様の助けを求め、深く息をつき、「エッファタ!」(開け)と悪霊に命じて、病を癒されたのです。

34節に「深く息をつき」とありますが、これは深呼吸ではありません。ギリシャ語では「ステナゾー」と言い、〈呻く〉とか〈苦しみもだえる〉という意味です。イエス様は病人と一体となって神様に必死に癒しを願い求めたのです。

ここにイエス様の愛があります。何と愛に満ちた行為でしょうか!

病を癒していただいたこの病人も、彼のことを心配していた人々も、きっとイエス様こそ救い主・メシアと信じ、イエス様の弟子になったことでしょう。私にはそう思われてなりません。