新井秀校長説教集84~エルサレム滅亡の予告~

   2022年12 月15日(木)

朝 の 説 教

          - エルサレム滅亡の予告 -  『ルカ』21:20~24

  今日の聖書は、イエス様が「神の都エルサレムは、神の怒りが下ってやがて滅亡する」と予告したところです。しかも主イエスは詳細に、「人々は剣の刃で倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる」と予言しました。そして予言は的中し、イエス様の死から約40年後の西暦70年、4年間も包囲されたエルサレムはローマ軍によって徹底的に破壊され、ヨセフスによれば110万人が殺され、約10万人が捕虜として連れ去られ、生き残ったユダヤ人は国を追われ、世界中に散り散りになってしまいました。以来ユダヤ人は、ヒットラーによる「ユダヤ人虐殺」など多くの迫害を受け、第二次世界大戦後にイスラエルが建国されるまでの約1800年間、自分の祖国をもたない「流浪の民」になってしまったのです。ユダヤ人が住んでいた、神が「約束の地」・「乳と密の流れる地」と呼んだあの肥沃なヨルダン川流域のオアシスは、以後「パレスチナ」(ペリシテ人の土地)と呼ばれることになるのです。以上は歴史が証明することです。

でも皆さんは反論するでしょう。「キリスト教は愛と赦しの宗教ではないのか!」。「聖書の中にも罪を犯した者は7の70倍、つまり無限に赦せと書いてあるではないか!なのに、どうしてエルサレムを滅ぼしてしまうのか!」と。

聖書は一か所だけを読むのではなく、全体を読むべき書物です。神様が旧約時代からエリヤ・イザヤ・エレミアなど、何人もの預言者を派遣して人々の「悔い改め」・「神への立ち返り」を求めたのに、一切聞く耳を持たず、最後に送った自分の独り子イエスまで殺そうとしている彼らです。愛の神でも、もうこれ以上はどうしようもないのです。神は悔い改める者は赦します。でもこのような頑なで強情なユダヤ人には「神の怒り」を下さざるを得なかったのであります。

次にエルサレム滅亡の様子をお話しします。西暦66年に皇帝ネロの命令でローマ軍が派遣され、遂に西暦70年にエルサレムは滅ぼされました。雄大壮麗を誇ったエルサレム神殿も火が放たれて焼け落ち、廃墟と化しました。エルサレム教会にいたクリスチャンたちは、イエス様の「ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」という教えに従って「テラ」という山に逃れて命拾いしましたが、イエス様の教えを無視して神殿周辺にいた多くのユダヤ人の内、約110万人という信じ難い数の人々が包囲攻撃の中で死んでゆきました。兵糧攻めから空腹のあまり共食いまであったと言われています。生き延びた人々はエルサレムを追放され世界中に散り散りになりました。彼らは「散らされた人々」、ギリシャ語でディアスポラと呼ばれている人々、祖国をもたない「流浪の民」です。長いユダヤ人の亡国の歴史が始まったのです。これが歴史的に「第一次ユダヤ戦争」と呼ばれる戦いです。

暫くしてユダヤ人たちは、エルサレム神殿崩壊を可哀そうに思ったローマ皇帝が神殿の修復を思い立ったのは良いものの、神殿の中にローマ人の信じる神を祀ろうとしたことに激怒し、再びローマ軍に反旗を翻しました。一神教のユダヤ人にとって、自分たちの魂の拠り所であるエルサレム神殿に敵の神である偶像(アイドル)が祀られることは断じて許すことは出来ないことでした。西暦132年に始まったこの戦いは135年、再び圧倒的なローマ軍の勝利に終わりエルサレムは完全に滅亡したのです。これが「第二次ユダヤ戦争」です。

クリスチャンの中には、これ程神様や預言者たちに反抗し、神の独り子のイエス様をさえ苦しめ、最後には十字架で殺したのだから神様の罰を受けたのだ、それは当然の報いなのだとする人もいます。ヒットラーによるユダヤ人虐殺は何と600万人にも及びました。今から僅か80年程前の出来事です。ヒットラーは使い物にならない人間は、アウシュビッツなどの強制収容所のガス室で殺しました。信じ難い悲惨な出来事です。でもそれを神の罰として受け取ることは正しくありません。それは神の愛の心を知らない人の言い分です。イエス様の愛の教えに反する態度です。

信仰は個人の自由です。キリスト教の信仰を強要することは出来ません。ただ今日の聖書から私が教えられたことは、少なくても我々はユダヤ人指導者たちのように偏見や先入観で心を頑なに閉じるのではなく、心をオープンにして大切なメッセージ・教えに耳を傾け「本当かなー?」と吟味する、そういう謙虚な人間であるべきだということであります。