新井秀校長説教集86~イエス・キリストの誕生~

校長

2023年4 月13日(木)
朝 の 説 教
- イエス・キリストの誕生 - 『マタイ』1:18~25

今日から『マタイによる福音書』によってイエス様の愛の教えを学んでゆきたいと思います。今日はイエス・キリスト誕生の記事です。今日から1年生が礼拝に加わりましたので、出来るだけ分かり易く話したいと思います。

イエス・キリストの「イエス」は両親が付けた名前です。「神は救いなり」という意味です。「キリスト」とは救い主・メシア・メサイアのことです。「ベツレヘムに生まれ、ナザレで育った大工の子イエスこそ神の子キリスト(救い主)だ」と教えるのがキリスト教です。

ヨセフとマリアは婚約中でした。当時の婚約は1年間続き、この間の性的関係は許されませんでした。そして1年後には、『ヨハネによる福音書』2章にあるカナの婚礼のように、一週間にも及ぶ盛大な結婚式をして夫婦としての生活を始めるのでした。聖書に「ヨセフは正しい人であった」と書かれていますから、ヨセフが当時の決まりを破ってマリアと性的関係をもったとは考えられません。それなのに、マリアのお腹が大きくなってきて、妊娠していることが明らかになって来たのです。マリアもヨセフも共にどうしたらよいか、深い悩みに突き落とされました。ヨセフはいい加減な人間ではないだけに、マリアの妊娠は我慢のならないことだったでしょう。でもヨセフはマリアを愛し、マリアを信頼していました。だから信頼と疑いの狭間でヨセフは当惑し悩み苦しんだのです。

ここでヨセフがとり得る方法は二つです。一つは村の長老たちに訴え出て、

マリアを裁判にかけて有罪とし、律法に決められているように〈石打の刑〉で殺すことでした。でもマリアを愛し信頼しているヨセフにはそんな惨いことはとても出来ないことでした。もう一つの方法は、ヨセフが全責任をとってマリアの命を助けることです。当時の慣例に従い二人の長老に証人になってもらい、マリアが妊娠したのは自分と関係したからだと嘘を言い、子をつくっておきながら離縁するとは何とひどい人間だと思わせ、自分が悪者になることでマリアを救う方法です。

マリアもヨセフもどうした良いか分からなく、途方に暮れてしまったことでしょう。仏文学者でクリスチャンの森有正は「アブラハムの信仰」と題された説教の中に印象深い言葉を残しています。「人間というものは、どうしても人に知らせることの出来ない心の一隅をもっております。醜い考えがありますし、秘密の考えがあります。ひそかな欲望がありますし、恥がありますし、どうにも他人には知らせることの出来ない心の一隅というものがあります。人にも言えず、親にも言えず、先生にも言えず、自分で悩んでいる、恥じている。でもそこでしか人間は神様に会うことは出来ないのです」という言葉です。確かにヨセフは、友人にも両親にもまして最愛のマリアにも相談できない。そういう中で一人悩み苦しんでいたのです。しかも真剣にその悩みと対決していました。そうしたいわば絶体絶命の中で初めて、ヨセフは夢の中で神の使いである天使の声を聞くことができたのです。

天使はヨセフに、①マリアの胎の子は聖霊によるのだということ、②生まれてくる男の子にイエスと名を付けるべきこと、③その子は神の子で、人々の罪を救う者になる、ことの三つを伝えました。夢からさめたヨセフは天使のいう通りマリアを妻として迎え、やがて男の子が生まれ、イエスと名付けたのです。

私は思います。聖書に「ヨハネは正しい人であった」とありますが、愛する弱い立場のマリアを命がけで救うヨハネは、むしろ「愛の人」「勇気の人」と呼ぶべきではないかと。同時に、この実に素晴らしいヨセフの働きは、華やかな場面においてではない、ヨセフの真剣に悩み苦しむ魂の一番深い所で神の声を聞いたことから始まったのです。神は私たちにもまた、そのヨセフのように生きることを求めておられるのだと思います。