新井秀校長説教集89~律法について~

2023年5月1日(月)
朝 の 説 教
- 律法について -   『マタイ』5:17~20

今日は、イエス様が律法をどのように考えていたかについて話をします。「律法」、聞き慣れない言葉ですね。辞書を引くと「おきて、規則、法律」と解説されていました。でも聖書で言う律法と法律は決定的に違います。法律は人間が作ったものであり、聖書の律法は神様から人間に与えられたものだからです。日本の法律は憲法の41条で決められているとおり、国会で国会議員によって作られたものです。でも聖書の律法、その代表である十戒は、今から3,000年以上も前にエジプトから脱出してきたユダヤ人の指導者モーセに、シナイ山で、神様から直接、石の板に書いて与えられたものです。

2~3年生は今までの礼拝や聖書の授業で、イエス様は律法を守らず、律法を軽視しているように感じませんでしたか?安息日に麦の穂を摘んで食べる弟子たちを弁護したり、重病でもない病人を安息日に癒したりしています。でも誤解しないでください。イエス様は決して律法を軽視したお方ではありません。今日の聖書に「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだと思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(17節)と述べている通りです。「律法を完成するため」とは、別な言い方をすれば「律法を本来の姿に戻すため」とか、「律法の本当の意味を示すため」となります。

十戒の4番目が安息日規定です。『出エジプト記』から引用します。「安息日を心に留め、これを聖別せよ。6日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、7日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である」とあります。十戒がモーセに与えられたのは今から3,000年以上も前です。日本では縄文時代末期の頃、最も弱い立場にあった女性・奴隷・寄留の他国人(戦争で負けて連れて来られた人々など)、そして家畜にまで週一日の休みを与えなさいという神様の御命令です。3,000年以上も昔に、こんな弱い者の立場に立った決まりがあったなんて驚くばかりです。人間だけじゃないのですよ、皆さん!家畜にまで週一日の休みを与えなさいと神様はモーセに命じているのです。

明治の初め、横浜から金沢に伝道に来てキリスト教主義の学校、北陸学院を創設したウイン宣教師は、自転車も車も電車も無い時代、馬車で各地に伝道しました。でもキリスト教の安息日である日曜日には絶対に馬車に乗らなかったそうです。聖書の安息日規定を守って馬を休ませ、自分はどこまでも歩いて行ったそうです。

律法は明らかに愛の現れです。根底に愛がなければ、こんな弱い者の味方になる決まりが出てくる筈はありません。3,000年後の今日だって、我々の落ち入り易い考えは、奴隷は死ぬまでこき使え、家畜は使えるだけ使え、寄留の外国人は差別し安い賃金でこき使え、ではないでしょうか?本当に愛が基となった驚くべき決まり・おきてが十戒に代表される律法なのです。

それなのに当時の律法学者やファリサイ派の人々は、律法をどんどん細分化し、一般の人には守りたくても守れないようにしておいて、人々を絶えず監視し、律法を守っていないなら容赦なく捕らえ罰しました。イエス様はそういう宗教指導者たちの態度・考え方に激しい憤りを禁じ得ませんでした。「神様が律法を与えてくださったのは、人を監視し裁くためではないだろう。人々が道を誤ることなく本当に幸せに生きるために神様が作り与えてくれた律法を、あなたたちは人を裁き罰する道具にしてしまっている。全くの本末転倒だ」とイエス様は言っているのです。

イエス様が今日の聖書で言っておられるのは次の4点です。

  • 大切なのは律法に固執することではない、
  • 大切なのはあなたの神を愛し、あなたの隣人を愛することである、
  • 大切なのは律法によって人の行動を禁止することでない、
  • 大切なのは積極的に人を愛せよとの神のご命令に従う努力をすることだ、

そうイエス様は教えておられるのです。

使徒パウロが言うように「愛がなければすべてがむなしい」のであり、「愛こそが律法を全うする」のであります。