新井校長説教集 18 ~教会というところ~

- 教会というところ-

『ヨハネの手紙三』9~12

1 はじめに
この手紙の著者は学問的には異論もあるようですが、私はイエス様の12弟子の一人のヨハネだと思っていますし、そういう前提で話をします。イエス様の12弟子の内、イスカリオテのユダはイエス様をお金で売ったことを後悔して自殺しました。他の10人は皆殉教しました。イエス様の福音を伝えたために捕らえられて殺されたのです。しかしヨハネだけは、十字架上のイエス様からの依頼通り、「それから弟子(ヨハネ)に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を日分の家に引き取った」(『ヨハネによる福音書』19:27)弟子でした。唯一長く生きた直弟子でした。
イエス様が亡くなってから暫くの時が経ち、クリスチャンが生まれ、教会が生まれました。それらの教会をヨハネは巡回して指導していたのでしょう。それらの教会の一つにディオトレフェスがいました。その教会の牧師であったのでしょう。彼は巡回指導者のヨハネに強い反感を持っていました。ヨハネから見ると彼には多くの欠点がありました。それは、①指導者になりたがっていること、②ヨハネたちを全く受け入れないこと、③悪意に満ちた言葉でヨハネたちをそしること(別な訳では「根も葉もない悪口を言いふらしている」)、④気に入らない者を教会から追い出している、ことです。ヨハネは10節で「そちらに行ったとき、彼のしていることを指摘しようと思います」と断固たる決意を語っています。


2 教会とは
2,000年前の教会がそうなら、今の教会にもディオトレフェスと同じような人がたくさんいるのでしょうか?確かに教会は「聖人君子の集まり」ではありません。むしろ「罪人の集まり」と言った方が良いかも知れません。私のような欠点の多い者が行っているのが教会です。私は教会の外でも内でも何度も「それでもあなたはクリスチャンなの!?」と批判されてきました。欠けの多い人間であること、感情をすぐあらわにすること、などからそう言われたのだと反省しています。でも教会にはディオトレフェスのような利己主義者ばかりがいる訳ではありません。素晴らしい人がたくさんいます。安心して教会の礼拝に出席してください。教会の皆さんが歓迎してくれる筈です。

3 作家井上ひさしとキリスト教
既に亡くなりましたが、井上ひさしという作家の話をします。彼のお父さんは裕福な家庭に生まれたのですが、共産主義者だという嫌疑で捕らえられ、拷問を受け、井上さんが5歳の時に死んでしまいました。母は自分の手だけでは育てられないと、ひさし少年と弟を仙台の養護施設に入れました。ここはカナダにあるカトリックの修道会が運営する施設でした。そこでの生活を井上さんは本や講演で語っています。
井上少年は映画が大好きでしたが小遣いがありません。考えた末、図書館に並べられていた分厚い英書を1冊盗み出し、古本屋で売り、手に入れたお金で映画を見たのでした。注意されないので、またしました。でも修道士たちは知っていたのです。普通なら呼び出して怒鳴りつけるか殴り飛ばすところですが、何も言わなかったそうです。また晩秋になると冬寒いカナダの本部から仙台の冬を乗り切るためにオーバーを新調するようにと、立派な布地が送られてきました。でも修道士たちはそれを全部売って、食べ盛りの園児のために肉・魚・牛乳・バター・野菜などを買ってしまいました。そして自分たちは相変わらずの古いオーバーを着続けたのです。
この修道士たちの行動を見た井上少年は、「何でなんだろう?」「どうしてなんだろう?」と思いました。「やっぱり聖書に従おうとする人イエス様に従おうとする人は違うな-」と感じ、やがて洗礼を受けてクリスチャンになったのです。
井上さんは養護施設から仙台一高へ進み、修道士の勧めでカトリックの大学である上智大学に進学しました。井上さんの短編には自伝的なものが多くあり、養護施設や高校でのこと、施設を出て家に帰りたかった思いなどが書かれています。是非君たちにも読んで欲しいです。

教会には素晴らしい人がたくさんいます。どうか教会の礼拝に出席してみてください。そしてイエス様に一日も早く出会って欲しいと願う者です。