在校生の皆さんへ<4月2日(木)更新>

生徒の皆さんへ

新型コロナウィルスについて様々な活動が制限されており、大変な時期が続きますが、生徒の皆さんが感染することのないよう、十分に対策を講じてください。

春季休業中も皆さんへの連絡がある場合には、一斉メールやホームページでお知らせしますので、必ず頻繁にチェックするようお願いします。

在校生は下記をダウンロードしてください。
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〇4月2日(木)発信<最新>
生徒・保護者の皆さんへ~健康状況報告などについて<4月2日(木)発信>

〇3月30日(月)発信<最新>
始業日以降の日程、並びに諸連絡について

〇3月19日(木)発信
春季休業中の新型コロナウィルス感染拡大防止のお願いについて

〇3月18日(水)発信
https://www.seikogakuin.jp/wpblog/wp-content/uploads/2020/03/1cde80a1e58120024f138c0a64f58aa3.pdf

〇3月13日(金)発信
https://www.seikogakuin.jp/wpblog/wp-content/uploads/2020/03/566754e3b197f04bcb0e48f9dbb742b8.pdf

 

 

離任式を行いました。

4月の新たな出会いを待ちわびる前に必ずある3月の別れ。今日の終業式終了後に、離任式を行いました。通常なら全校生徒の前で挨拶となりますが、今年は放送による挨拶。永年本校に奉職していただいた先生方も、そして生徒も非常に残念な形ではありましたが、先生方の一言一言が大変心に染み入りました。

先生方、本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました!

<退職される教職員>
〇辻 潤教頭


13年前、通信制課程の立ち上げの際に教頭として奉職。毎朝礼拝では全校生徒の前で愛のこもった説教をして頂きました。礼拝の最後にはギターを片手に讃美の歌を熱唱。いつも生徒から大きな拍手をもらっていました。生徒から一番拍手をもらった先生、それが辻教頭です!辻先生、ありがとうございました!

メッセージ
「神様に愛されし皆様と過ごすことができて幸せでした。今後は牧師として歩んでいくことになると思います」。最後は「どんなときでも」を熱唱して頂きました!

〇阿部尚弘先生


34年間聖光学院に勤務されました。若い頃は東京で営業の仕事をしていましたが、一念発起し地元福島で教員を志して本校に奉職。物腰柔らかく、生徒にも人気の先生です。4月からも本校に残り、英語の授業を担当されます。本当にお疲れさまでした。そして、今後もよろしくお願い致します。

メッセージ
「とても楽しい日々でした。生徒からのたくさんの‟ありがとう"が宝物です。4月から授業でお会いしましょう。そして最後に‟英語を話せる日本人になろう!″」

〇村杉善之先生


辻教頭と同じく13年前に通信制課程立ち上げに参加し、本校に勤務されました。その後全日制に異動となり、保健体育科の教員として、また毎年担任としてクラスをまとめられました。また、ハンドボール部の監督としてその手腕を発揮、インターハイにも導いた指導者でもありました。本当に残念ですが、今後は家業をお継ぎになるとのこと。ご活躍を祈念いたします。

メッセージ
「先生方のお支えと、生徒の笑顔、そして部活動が私の支えでした。人生は選択の連続。困難な道、安易な道、いろいろあると思いますが、どちらを選んだとしても、夢を追いかけることは忘れないでください!」

〇五十嵐昭治先生

退職前は教頭職として学校を支えて頂きました。その後も学校のため、生徒のために機械科の授業を担当され、また礼拝でも説教をして頂きました。聖光学院でなんと47年間もお働きになられた先生です。聖光学院を創り上げてきた先生の功績に恥じぬよう、我々はその歴史を重ねていかねばなりません。先生、長い間本当にありがとうございました。今後もぜひ本校を見守ってください!

〇菅野洋子先生

学校カウンセラーとしてご活躍頂きました。様々な問題に直面した生徒に寄り添い、様々なアドバイスをくださりました。先生に救われた生徒は数知れず、感謝の言葉しかありません。本当にありがとございました。

〇佐藤早苗さん

事務職員として勤務されました。事務室でいつも笑顔でおられる「早苗さん」に我々いつも癒されていました!4月以降も継続して勤務して頂くことになっています。今後もよろしくお願い致します!

 

今日は終業式です。元気な生徒の声が学校に戻りました!

新型コロナウィルスの影響で休校期間中となっていましたが、休校期間は昨日で一応の終了となり、本日終業式のため、学校に元気な生徒の姿が戻ってきました!

本日の終業式はすべて放送によって行われ、また後期生徒総会も放送によって簡易的に行われる予定です。

まだまだ通常通りとはいかないまでも、まずは学校に生徒が戻ってきた姿を見て一安心。今後の対応については今後の政府発表などを検討していくことになります。

生徒を学校を奪ってしまう今回のコロナウィルス。イベントの中止などなど大きな影響を及ぼしています。少しでも早く終息してくれないか、生徒たちの笑顔を見て、一層その気持ちが強くなりました‼

<先生のひとりごと> 9年目の追悼 ~東日本大震災~ 

死者1,613名、行方不明者197名(福島県)。9年前の今日、マグニチュード9.0の巨大地震が、私たちを襲いました。

経験したことのない激しい揺れ、地鳴り・・・ライフラインはすべて崩壊し、沿岸部では信じられない巨大津波、そしてまさかの原発の爆発事故。

あれから9年が経ちました。あらためて、亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。そして今なお、苦しんでおられる数多くの方々がいます。私たちは今一度、「あの日」を思い出し、そして前に進んでいく決意を新たにしなければならないのではないでしょうか。

私たちはまだ復興の途上にいます。しかし、間違いなく前進しています。「あの日」から数々の困難を乗り越え、今があります。

そしてまた、新たな脅威「新型コロナウィルス」との闘いが始まりました。

しかし、私たちは絶望的な「あの日」から前に進んできたのです。

共に力を合わせ、新たな脅威も必ず乗り越えていかなくてはなりません。

3月11日という特別な日。

私たちが今日やらなければならないこと。

それは「あの日」の追悼。

そして、

新たな脅威と闘っていく・・・その強い決意をすること。それが最も大切なことだと思います。

最後に・・・

東日本大震災。絶対に風化させてはならない「あの日」。

今一度、心からご冥福をお祈りいたします。 (HY)

通信制課程 最後の卒業証書授与!

本日、通信制課程において、卒業証書の授与を行いました。

新型コロナウイルスの猛威が、世の中に様々な影響を及ぼす中、本日本校では通信制課程「最後」の卒業証書が授与されました。

第二校舎礼拝堂で行われた「式」というにはあまりに簡素化されたものでしたが、心温まる、非常に感慨深い一時でした。

これで本校の通信制課程は閉校となります。誠にありがとうございました。

そして、卒業された皆様、本当におめでとうございます❗

野球部3年生 祝卒業!『最後の校歌』

新型コロナウィルスの影響で、日程・規模を縮小して行われた卒業式。
野球部56期生も、3月1日(日)、母校を巣立っていきました。

秋の東北大会での大逆転負け。そして春の敗戦。そこから這い上がって掴んだ夏の甲子園。各教室での卒業証書の授与式から、56期生は室内練習場での「送る会」に出席、代表者6名が現役選手にメッセージを送り、スタッフに感謝の言葉を述べてくれました。

56期生は史上最も自主練習に取り組んだ代でした。決して突出した選手がいた代ではありませんでしたが、コツコツ、コツコツ一つずつ積み重ねていった56期生。聖光学院野球部史上に残る「職人」世代。

本当に素晴らしい代でした。みんなありがとう!

「特別な」卒業式。本当におめでとう!

新型コロナウィルスの拡大、内閣総理大臣からの休校要請という異例の事態が吹き荒れる中、「特別な」卒業式を行いました。各教室において担任から卒業証書を手渡す異例の「卒業式」。しかし、教員が各教室や廊下などに例年にはない装飾を施し、手作り感満載の温かな「卒業式」になったのではないでしょうか。

3年生には本当に申し訳ない。教職員一同、心からそう思っています。卒業生には新しい進路先で、頑張って欲しい。きっと君たちの人生の中で大きな意味を持つ聖光学院での3年間を原点に、素晴らしい人生のスタートを切って欲しいと願っています。

卒業生の皆さん、本当におめでとうございます!

新井校長説教集20~クリスチャンへの弾圧と拷問~

2020年2月21日

- クリスチャンへの弾圧と拷問 -

『ヨハネ黙示録』1:9

1 はじめに

1章9節後半の「わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモス島と呼ばれる島にいた」に集中してお話します。

ローマ帝国は、皇帝崇拝に従わないクリスチャンたちを憎み、何度も弾圧しました。紀元64年に皇帝ネロによるクリスチャン迫害がありました。クリスチャンたちを捕らえては空腹の野獣の餌食にしたと伝えられている恐ろしい迫害でした。この時、弟子のペテロや使徒パウロが殺されました。更に95年には、皇帝ドミティアヌスによる大迫害がありました。ネロの迫害はローマ市内だけのものでしたが、ドミティアヌスの迫害は小アジアにまで及び、皇帝崇拝を拒否するクリスチャンは容赦なく殺されました。この迫害の中で、ヨハネはエペソの沖合に浮かぶパトモス島という孤島に流刑されました。孤島での孤独と苦痛の中で、愛なる神様から示された幻を書き留めたのがこの書です。

2 弾圧と拷問

いつの時代でも、上に立つ権力者は自分の言うことを聞かない者は憎い邪魔者です。戦前の日本では「治安維持法」があり、左翼思想家やクリスチャンは危険な思想の持ち主と言うことで、「特高」という警察に捕らえられて拷問を受け、殺されたりしました。

皆さんは小林多喜二という小説家を知っていますか?『蟹工船』という小説が有名です。三浦綾子さんが多喜二とその母セキのことを『母』という小説に書いています。セキは秋田の生まれ育ちですが、家が貧しく学校にも行けませんでした。16歳という若さで嫁に行き、やがて北海道の小樽に暮らしました。無学でも愛情一杯のお母さんでした。長男は多喜郎と言い、12歳の若さで死んでしまいました。多喜二は次男です。3つ上の姉がチマで、若い時に信仰を持ち、後に母セキを信仰に導きました。すぐ下の弟は三吾といい、音楽の得意な子でした。兄弟揃って頭が良く、多喜二は小樽商科大学を出て、北海道拓殖銀行に就職しました。多喜二は人一倍優しい性格で、初任給の半分を叩いて音楽好きな弟三吾のためにバイオリンを買ってやったそうです。また若い頃から文学に興味のあった多喜二は、仕事の合間には5行・6行と小説を書き進めました。多喜二は、劣悪な条件の中で暮らす労働者を書きました。作品の中に特高の残忍な拷問についても書いたので、特高の憎しみを買い、これが逮捕されるきっかけになりました。特高に尾行され、捕らえられ、何も悪いことをしていないのに危険な思想をもっていると拷問を受け、30歳の若さで死んでしまいました。太腿部を何度も千枚通しを突き刺さすような酷い拷問でした。愛する息子の突然の死、しかも不当な拷問による死を知った母セキの怒りと悲しみはいかばかりだったことでしょう。

暫くしてセキは、娘チマの勧めで小樽シオン教会の門をくぐります。字の読めないセキには聖書の話は大変でしたが、近藤牧師の優しく情熱的な話に次第に引き込まれていきました。何も悪いことをしていないイエス様が、殺される十字架の上から「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(『ルカ』23:34)の言葉にセキは感動しました。息子多喜二の死とあまりにも似ていたからです。

多喜二も聖書に詳しく、良く「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(『ヨハネ』1:5)という聖書の言葉を口癖のように言っていました。母セキはやがて洗礼を受け、クリスチャンになりました。大好きな讃美歌は「やまじこえて」(21-466)でした。お葬式は敬愛する近藤牧師のもとで行われ、「天国で多喜二に会いたい!」と安らかに息を引き取ったそうです。

ヨハネが経験した弾圧や流刑、小林多喜二や母セキ・家族が受けたような不当な苦しみは二度とあってはなりません。このことを今日の聖書から心に刻み付けたいと思う者であります。