新井校長説教集17 ~キレネ人シモン、イエス様に出会う~

2019年10月24日(木)
キレネ人シモン、イエス様に出会う                            『マルコ』15:21~25

1 背景
いよいよイエス様が十字架に付けられる場面です。今日の聖書は、約2,000年前のエルサレムでの、金曜日の朝9時前の出来事です。弱虫のローマ総督ピラトは、群衆の暴動を恐れ、ローマ皇帝に自分の悪い噂が伝わることを恐れ、イエス様には何の罪もないと知りながら、十字架刑を許可しました。明日は土曜日、安息日、何もしてはならない日です。今日中に十字架に架けてしまわねばなりません。イエス様に重い十字架を担がせて、処刑場であるゴルゴタの丘まで進みました。この道はラテン語で「ヴィア・ドロローサ」(苦難の道)とか、「ヴィア・クルキス」(十字架への道)と呼ばれています。1キロ近い長さです。
イエス様は夜通し裁判に引き回されて一睡もしておらず、こぶしで殴られ、葦の棒で叩かれたり、鞭で打たれたりして、体は血だらけにされ、疲労困憊していました。イエス様にとって、重い十字架を最後まで担ぐことは無理でした。伝説では3回躓き転んだと言われています。見かねたローマの兵隊が、たまたまそこを通りかかったキレネ人シモンに命じて、十字架を担がせたのでした。

2.キレネ人シモンがイエス様を信じる者に変えられたこと
このシモンという男は、アフリカの北岸、今のリビアという国の港町キレネに住んでいました。過越しの祭りをエルサレムで迎えようと、遥々1,600キロも旅をしてエルサレムに来ていました。たまたま十字架を背負って苦しみ喘ぐイエス様の隣に来てしまったのです。「貧乏くじ」です。最も嫌な役目嫌な運命を背負わされたのです。きっと自分の不運・不幸を呪ったことでしょう。断ればローマ兵に鞭で叩かれますから、やむを得ず十字架を担いだのです。

ところで、聖書にはこのシモンと家族のその後のことが書かれています。
第一は『使徒言行録』13章1節に、「ニゲル(二グロ)と呼ばれるシメオン(シモン)が地中海に面したアンティアケアの教会の教師であったことが書かれています。第二は『ローマの信徒への手紙』16章13節に、「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです」と書かれています。ルフォスとはキレネ人シモンの次男です。
つまりこう読めるのです。貧乏くじを引いてイエス様の十字架を無理矢理背負わされたシモンでしたが、その後、彼はイエス様を信じる者に変えられ、アンティオキア教会の指導者になっていること、彼の妻は、パウロにとって母親のような大切な存在になっていること、次男のルフォスもまた、イエス様を信じるものに変えられていることが分かるのです。驚くべきことです!奇跡です!

ある牧師は説教でこう語っています。「そうだ、ただひとりだけ、主イエスの苦しみを共に味わい、主イエスに向けられたあざけりを自ら引き受けた男がいた。イエスの弟子でもなかったシモンは悔しさと恨みに歯ぎしりしながら、しかし、主イエスの最も近くで、主と共に足を引きずって、主の十字架を背負った。彼だけがそのことを為し得た。彼だけが主と苦しみを共にしたのだ。イエス様と並んで歩いたごく短い間に、シモンの人生を変える何かが起きたのではないだろうか。シモンはイエスを信じる者となったし、一家をあげて教会に加わったのだ。イエスは自分の背負うべき十字架を背負ってくれたシモンに、一言、「有難う!」と言われたのではないか。その一言の故にシモンは、自分が単なる物でもなく、道具でもなく、この愛の人イエスにとってかけがえのない存在になっていることを感じたのではないか。即ち、人間としての誇りと喜びを生まれて初めて知ったのではないかと、思うのです。でもすべては想像です。しかし、貧乏くじの極みとしか言いようのない出来事の中に、神の救いの御計画、神の時が重ねられたのだと私は思うのです」と。

何と素晴らしい話でしょうか。このように、私たちがイエス様の人格・愛に触れる時、私たちの人生が180度変えられることを、このキレネ人シモンとその家族は
今も私たちに伝えているのであります。驚くべきことです!また感動を禁じ得ないことであります。

新井校長説教集16 ~あなたこそわたしの神、依り頼む方~

2019年10月9日(水)
あなたこそわたしの神、依り頼む方-
『詩編』91:1~11

1 はじめに
この詩91はいつ頃、誰によって書かれたのか分かりません。おそらく今から3,000年近く前、神様を深く信じている人が書いたものでしょう。全部で150ある詩の中で、「信頼の歌」に分類される詩です。この詩は、神様を信頼し賛美する言葉で満ちています。神様に対する苛立ちとか、自分の不幸や不自由を、神様に責任転嫁するような言葉は皆無です。
この詩が言いたいことつまり結論は、「全能者である神様・イエス様に頼りなさい。神様はたとえどんなことがあっても、神を信頼する者には最善を為してくださるお方です。弱い私たちは、神様・イエス様のみ翼の下を安息の場所、隠れ家(シェルター)とさせていただきましょう」ということです。
「神様に頼るなんて弱い人間のすることだ」と言う人がいます。大きな間違いです。いくら強がりを言っても人間は所詮弱く、罪深い者です。聖書を良く読んで、『走れメロス』のような妹への愛と、友への友情と、誤った王に断固抵抗する正義感に満ちた、全く聖書の精神そのもののような小説を書いた太宰治でさえ、最後は愛人と入水自殺してしまいました。正しいもの、清いものを求めても、そう生きられないのが人間です。素朴に、単純に愛なる神様・イエス様を信じ、守っていただくことが、喜びと希望の人生へと我々を導いてくれるのだとこの詩の作者は言っています。

2 水野源三さんのこと
水野源三さんは、1946年長野県に生まれました。近くを千曲川の清流が流れる農村地帯です。元気に野山を駆け回る利発な少年でしたが、集団赤痢に罹り、病院はどこも満員で診てもらえない中、高熱を発して脳膜炎になってしまいました。9歳・小学4年生の秋でした。首から下は完全に麻痺し、残った機能は、耳が聞こえること、目が見えること、だけでした。自分では身動き一つ出来ない少年になってしまいました。どんなに自分の人生を悲観し呪ったことでしょう。お父さんは農協に勤め、お母さんはパンの委託販売をしていました。
そこにある日、宮尾隆邦牧師がパンを買いに来ました。宮尾牧師は進行性筋萎縮症で杖をつかねば歩けない不自由な体でした。町外れのあばら家に住み、小学校の分校の教師をしながら伝道し、集会を開いていました。それから何度もパンを買いに来ては、源三さんに合わせることを拒否するお母さんを説得し、遂に源三さんにイエス様の福音を語りました。源三少年の心は渇いていました。生きるための〈いのちの水〉を求めていました。熱心な宮尾牧師のお陰で源三少年はイエス様をキリストと信じるようになりました。神様をシェルター(隠れ家)とするように変えられたのです。するとどうでしょう?家族が口を揃えて「源ちゃんは本当に変わった。パッと変わった。あんなに怒ってばかりいたのに、今はいつもにこにこしている!」と驚く程でしたし、やがて高校生のお兄さん・お父さん・お母さんが次々と洗礼を受け、クリスチャンになる奇跡まで引き起こしました。
それだけではありません。心の底から湧き上がってくる神様・イエス様への愛を、母「うめじさん」の力を借り、瞬きで一字一字を指定して書いた素晴らしい詩を数多く作り出したのです。
神様・イエス様の愛を隠れ家とする人生は、この水野源三さんの人生のように喜びと感謝に変えられるのです。最後に源三さんの詩を2つ紹介します。

まばたきでつづった詩

口も手足もきかなくなった私を
28年間も世話をしてくれた母
良い詩をつくれるようにと
四季の花を咲かせてくれた母
まばたきでつづった詩を
一つ残らずノートに書いておいてくれた母
詩を書いてやれないのが
悲しいと言って天国に召されていった母
今も夢の中で老眼鏡をかけ
書き続けていてくれる母

み愛
亡き母にかわって義妹(いもうと)が入れてくれた香り良い新茶を
冷めないうちにお飲みください
できたら草餅もお食べ下さい
主よ、あなたが私を案じてお訪ねくださったそのみ愛だけで
私は十分なのです

新井秀校長説教集15~哀しみのどん底から~

- 哀しみのどん底から -
『詩編』88編

今日の詩は出口が無いような、深い悲しみに満ちた詩です。イギリスの神学者カークパトリックは、「詩編150編の中でも、最も悲哀に満ちた詩である」と言っています。例えば、4節の「わたしの魂は苦難を味わい尽くし」や、5節・6節の「力を失った者とされ、汚れた者と見なされ」や、9節の「あなたはわたしから親しい者を遠ざけられました」などです。悲しみ苦しみの原因は何なのでしょうか?分かりませんが、「汚れた者とみなされ」や「わたしから親しい者を遠ざけられました」などから、この詩の作者は重い皮膚病に犯され、家族から捨てられ、友達からも捨てられ、哀しみのどん底にあるのだと想像することもできます。かすかな救いは14節の決意です。これは冒頭に「しかし」を入れるべきだと思います。「しかし主よ、わたしはあなたに叫びます。朝ごとに祈りは御前に向います」と書いています。たとえ苦しみ哀しみから逃れなくても、わたしは「祈り続けます」「希望を持ち続けます」との決意を述べているからです。

人間にとって最も辛く悲しいことは何でしょうか?その一つは愛する家族の死だと思います。以前栃木県の那須岳で、春山登山講習会に参加していた高校生が雪崩に巻き込まれて死亡した事故がありました。あの春山講習会には私自身、山岳部の生徒を連れて何度も参加していたので、他人ごとではなく、本当に辛い悲しい出来事でした。前途洋々の自慢の息子を突然失った親の悲しみはどれ程でしょうか?何によっても慰め得ない苦しみ哀しみでしょう。

ここに一冊の本があります。『死の陰の谷を歩むとも-愛する者の死-』という本です、愛する家族を亡くした8名の牧師や信徒が書いた涙の証です。この冒頭にある大宮溥(おおみや・ひろし)牧師の文章を紹介したいと思います。

「私が新潟で牧師をしていた時です。小学5年生になる娘の恵里が、突然病魔に犯されました。学校から帰って間もなく、鼻血が出て止まらなくなりました。医者に診せると「すぐに入院しなさい」とのことでした。私と妻は床に倒れ伏して、神様にとりすがる想いで、「娘の命を助けて下さい!」と力の限りに祈りました。しかし、医師の口から出た病名は白血病。わたし共が一番恐れていたものでした。最短だと数か月。不意にこういう死の宣告を受けたのです。

体中の血が外に流れ出して行くような、凍りつくような、冷たく辛い経験でした。怒りと悲しみに、心のたがが外れたようでした。わたしは祈りの中で神様を探しに行き、神様にしがみついて「恵里を助けてください!」「恵里を返してください!」と必死で祈りました。しかし、ちっとも良くならないのです。本当に「自分の命を取って下さっても良いから、恵里の命を助けて下さい!」と祈りました。しかし聞かれないのです。神様の無慈悲さに、怒りが込み上げてくることもありました。

ところが恵里が死んで、私の祈りが聞かれないままに終わった時、私はふと、神様とかたく結び合わされている自分に気付きました。「キリスト、わが内にありて生くるなり」(『ガラテヤの信徒への手紙』2:20.文語訳)という事実の発見でした。

葬儀の時、植村正久先生の訳されたストック女子の詩を読みました。

「家には一人を減じたり、

楽しき団欒(まどい)破れたり。

愛する顔、いつもの席に見えぬぞ悲しき

されば天に一人を増やしぬ

清められ、救われ、全うせられし者、一人を

One less in Home

One More in Heaven!

この詩の作者も、大宮先生ご夫妻も、出口のない悲しみの中で神様から離れず祈り続けました。愛なる神様は、その時には分からず気付くことができなくても、「必ず、必ず、最善を為してくださる」という信仰がそうさせたのです。

新井秀校長説教集14~もし罪を犯させるなら~

- もし罪を犯させるなら -
『マルコ』9章42節~50節

今日の聖書には、罪に対するイエス様の大変厳しい言葉が繰り返されています。「つまずかせる」という言葉が4回出て来ます。「つまずく」とは「歩く時に、足先に物が当たってよろけること」で、転じて、「仕事につまずく」などのように、「障害があって中途で失敗する」ことを意味します。私ならつまずくとは訳さず、もっと原語に忠実に「罪を犯させるなら」と訳します。この訳を用いれば、「もし片方の手や、片方の足や、片方の目があなたに罪を犯させるなら、それらを切り捨ててしまいなさい」と言っているのです。何と厳しい言葉でしょうか!驚きを禁じ得ません。

42節に出て来る「石臼」は、小さなものではなく、ロバに引かせる重くて大きな石臼のことです。それを身体に括り付けて海に投げ込まれたら、到底浮き上がることは出来ません。私など罪の多い人間ですから、この通り大きな石臼を体に括り付けられ、とっくの昔に海の底に沈んで死んでいたでしょう。

キリスト教では良く罪を問題にします。仏教で言う「煩悩」に近いものです。仏教の教えによれば、人間には何と108もの煩悩があり、大晦日から元日の朝にかけてお寺で鳴らす「除夜の鐘」は、煩悩を吹き払って新年を迎えるべく108回鳴らします。煩悩の中では「3毒の煩悩」が最も厄介で、それは①貪欲、②瞋恚(しんい)= 激しい怒り、③愚痴 = 嫉妬、の三つです。

イエス様は『マルコ』7章15節で、「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出てくるものが人を汚すのである」と言っていました。人間には「良心」というものがありますから、大抵は欲望をコントロール出来るのですが、欲望が上回ってしまえば、それに負けて罪を犯すことになります。

欲望は人間誰しも持っており、欲望を完全に消し去ることは不可能です。大切なのは、欲望をコントロールすることです。そのために有効な方法があるのでしょうか?私が心掛けているのは、聖書の言葉を暗記して心に蓄えておき、いざという時には、その聖書の言葉で罪の欲望を撃退することです。今日の聖書のイエス様の言葉、「自分自身の内に塩を持ちなさい」(50節)と同じです。

私の尊敬する牧師の一人に正木茂先生がいます。先生の著書『この日この朝』は私の愛読書で、毎朝1ページ、聖書と共に必ず読みます。その中にこんな記事がありました。先生は最初は医者になることを目指し、神戸大学の医学部に入学しました。しかし家が貧しかったので、一年間、オートバイを売るアルバイトをしていました。ある日、社長と一緒に集金に回りました。予想以上に順調な集金ができたので、喜んだ社長から歓楽街に連れて行かれました。そこは個室に女の人が来て背中を流してくれるようないかがわしい風俗店でした。クリスチャンであった正木先生は、暗記していた「どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」という『創世記』のヨセフが言った言葉を大声で叫び、罪を犯さずに済ませました。ヨセフは兄たちからエジプトに売り飛ばされ、エジプトの高官であるポティファルの家で働いていました。熱心で陰日向なく働き、しかも大変な美男子でした。そんなヨセフを好きになったポティファルの妻は再三ヨセフに言い寄りました。その誘惑を退ける時にヨセフが叫んだ言葉です。正木先生は、帰りたがらない社長を無理矢理オートバイの後ろに乗せて、その風俗店から帰り、罪を犯さずに済んだと書いています。

正木先生と同じように、私たちにも心に備えがなければ、聖書の教えを心に蓄えて反撃しなければ、我々は甘い誘惑に簡単に負けてしまいます。テレビや新聞のニュースの殆どが、この誘惑に負けた人の話です。もし報道されていることが真実であれば、カルロス・ゴーン元日産の会長は、絶対的な権力を用いてお金への欲望という罪を犯してしまった人間です。

今日の聖書は、私たちに罪への対抗手段としても、聖書の言葉を心に蓄えることを勧めているのです。

新井秀校長説教集13 6月20日(木)

今日の聖書は、ファリサイ派の人々がイエス様に、「お前が本当にキリストだと言うなら、天からのしるしを見せろ、確実な証拠を見せろ」、と要求したところです。「しるし」は英語の聖書ではサインです。野球部の諸君は、ゲーム中監督の出すサインを見て、その指示に従ってバントしたりヒッティングしたりすると思います。うっかりサインを見落としたり気づかなかったりすれば、勝敗にかかわる一大事です。それ位サインは大切なものです。今日の聖書では「証拠」という意味で用いられています。

当時、ユダヤはローマ帝国の植民地でしたから、人々はローマからの独立を
達成してくれるような強いリーダーとしてのメシアを待ち望んでいました。また彼らは、メシアがこの世に来られる時は、天変地異、つまり、火山の爆発とか大きな地震とか、何日も続く雨など、何か非常に驚くべき破壊的な自然現象が起こると考えていました。まして、ナザレの町でついこの前まで大工をしていたイエスがキリストであるなどとは、到底認め難いことでした。人間は、自分で作り上げた尺度・価値基準をなかなか譲りません。ファリサイ派の人々に
は、「あのナザレのイエスがキリストである筈などあり得ない」という先入観がありましたから、執拗にイエスが神の子である証拠を求めたのです。

聖書の別の箇所を見ると、イエス様が本当に神の子・キリストなのかを疑ったのは、ファリサイ派の人々だけではないことが分かります。イエスさまの先駆者であるべきバプテスマのヨハネでさえ、牢屋の中で死の恐怖に晒されながら弟子をイエスの元に派遣して、「来るべき方(メシア)はあなたでしょうか。それとも他の方を待たねばなりませんか」と尋ねています。イエス様の答えは単純明瞭。「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている」(『マタイ』11:4~5)。「あなたがたがわたしについて見聞きしたことで、しるし(証拠)は十分だろう」とイエス様は答えたのです。

先週、私たちは礼拝で讃美歌361番「この世はみな」を歌いました。私の大好きな讃美歌の一つです。詩も素敵ですし、メロディーも美しい讃美歌です。詩では特に3節後半の「わが心に 迷いはなし。主こそがこの世を治められる」は、力強く信仰の核心を突いた素晴らしい言葉だと思います。この曲の詩を書いたバブコックはイギリス系アメリカ人で牧師でした。二人の子を生まれてすぐに亡くし、悲しみの多い人生でしたが、やがて牧師になりました。彼の教会はアメリカのオンタリオ湖とナイアガラの滝の近くにありました。その素晴らしい自然が大好きだった彼は、良く奥さんを誘って「神さまのお創りになった素晴らしい世界を見に行こう!」と行って散歩に出かけました。43歳の若さで亡くなりましたが、遺品の中から彼の書いた素晴らしい詩が見つかりました。それは各行が「This is my Father’s world」(この世界は父なる神の創られたもの)で始まる詩です。この讃美歌の2節は「この世はみな神の世界、鳥の音、花の香、主をたたえる。朝日、夕日、空に映えて、み神のみわざを、語り告げる」と訳されていますが、私なりに訳すとこうです。「この世は神さまがお創りになったものです。鳥たちは鳴き声で、花々はその香りで、創り主なる神をほめ称えています。朝日も夕日も空に美しく映え、神はご自分がお創りになったこれら全てのものを通して、今日も、私たちに語りかけています」。何と美しい、素晴らしい詩でしょうか!

今年ももうすぐ田んぼの畦道などに「露草」が可憐な青い花を咲かせ始めることでしょう。うっかり見過ごしてしまうような小さく目立たない花です。ずっと前、私は尾瀬に行く途中の福島県檜枝岐村で綺麗な露草を見つけました。早速カメラを準備し、三脚を立て、90ミリのマクロレンズをつけ、腹ばいになり、レンズを通して拡大された露草を見ました。その美しい青、精巧な作り、色の配置に思わず息を飲みました。「この色!この色の組み合わせ!これは神さまがお創りになった花だ!」と心底思いました。「この世はみな」を作詞したバブコックと同じように、私も自然の中に神さまの存在の「しるし」を感じる者の一人です。

私たちは、「イエスよ、十字架から降りて来い。そうした信じてやる」と言うような、しるしを求める疑い深い者たちの側に立つのではなく、「全世界は神のしるしに満ちている。神の奇跡で出来上がっている。畑に実る小麦、空を飛ぶ小鳥、そのようなものの中に神さまがおられる!」と、世界のあちこちに神さま・イエス様の存在を見いだせる者でありたいと思います。

新井秀校長説教集12 6月19日(水)

1 背景
イエス様の後にはいつも群衆が従っていました。今日の聖書では、その数何と4千人もの大群衆でした。しかも群衆は、①もう3日もイエス様と一緒にいるのに何も食べる物がなく、②空腹で、③かなり遠くから来ている人もおり、④このまま帰らせれば、途中で疲れ切ってしまう危険がありました。そうした群衆を見てイエス様は「かわいそうだ」(2節)と思いました。「かわいそうに思った」と言うより、「憐れでならない」とか「気の毒でならない」と訳したい言葉です。それに対する弟子たちの答えは、「こんな人里離れた所で、いったいどこからパンを手に入れて、これだけの人に十分食べさせることができるでしょうか」と、憤慨した絶望的なものでした。先に5千人の群衆を、5つのパンと2匹の魚で腹一杯にする奇跡を経験したばかりなのに、この弟子たちの不信仰は、一体何でしょうか?慌てふためく弟子たちに対し、イエス様は、主食としてのパン7つと、おかずとしての「小さくて少ししかない魚」を手に取り、天を仰ぎ、神に「感謝の祈り」・「賛美の祈り」を唱えてから弟子たちに分けさせました。ここでイエス様は再び、僅かな食べ物で大勢の群衆が満腹する奇跡を起こされたのでした。にわかに信じがたい奇跡ですが、大切なのは、イエス様が「感謝の祈りを唱え」・「賛美の祈りを唱え」たことにあります。神様を絶対的に信頼し神様にすがる姿勢です。これが神の心を揺り動かし奇跡を起こさせる引き金になったのです。

2 例話

6月7日の説教で、私は榎本保郎という牧師の話をしました。誰も来ない教会で、壁に向って1年近く大声で説教を続けた人です。この榎本先生が次のような話を本に書き残しています。

先生は第二次世界大戦中、中国に二等兵として駐屯していました。夜疲れて寝床に入ると、隣に寝ている筈の兵隊が、何やらごそごそ動き、小声でぶつぶつ言っています。「何や、何しとんのや?」。淡路島出身ですから関西弁です。隣に寝ていた兵隊は牧師の息子で、毎晩寝る前にはお祈りをするのでした。「お前、キリスト教なんて敵の宗教やないか!見つかったらただじゃ済まんぞ!」と脅しましたが、これがきっかけで口をきくようになり、次第に仲良くなりました。やがて日曜日に二人一組という条件で外出が認められるようになりました。するとその友達は、「お願いだから一緒に教会に行ってくれ!」と必死に頼みます。頼むだけじゃなく、僅かしか配当されないご飯とおかずを私に分けてくれ、「お願いだから今度の日曜日は教会に一緒に行ってくれ!」と頼むのです。

仕方なく日曜日、教会の玄関まで一緒に行き、そこからは中に入らずに友達が終わって出て来るのを待ちました。すると友達が顔を出し、「榎本君、教会の人がお昼を準備してくれたよ。ただで中華料理が食べられるよ!」とのこと。「ただ!」に誘われて教会の中に入り、美味しい中華料理を腹いっぱい食べたそうです。それ以降、友達は繰り返し榎本青年を教会に誘い、暇を見つけてはイエス様の話をしたのです。

戦後、二人は帰国しました。友達はお父さんの後を継いで牧師になり、榎本青年も牧師になるべく同志社大学神学部に進学しました。それから20年後、榎本牧師は牧師としてだけでなく、「アシュラム運動」を推進する著名な先生として、全国や外国を飛び回る生活でした。そんな中、この友人の父親が亡くなり、榎本牧師が招かれて葬儀の司式をしました。

葬儀が終わり親族代表の「お礼の言葉」の時です。この友人は「今日私は奇跡を見ました!あの満州でキリスト教なんて敵の宗教だ!俺は絶対そんなものは信じない!と言っていたあの榎本青年が、今や日本中、いや世界に知られる牧師になって、今日、牧師である私の父の葬式を取り仕切ってくれた!これこそ奇跡でなくて何でしょうか!わたしは今日奇跡を見たのです!」と叫び、涙ぐんだそうです。

7つのパンと小さい僅かばかりの魚で、イエス様は4千人もの群衆を満腹にしました。たった一人の友達の祈りと伝道でキリストの弟子となった榎本牧師は、命のパンであるイエス様の言葉を伝え、4千人どころか何万人もの人々の心をイエス様の愛で満腹にしました。これこそ奇跡ではないでしょうか!?

校長説教集 1〜11

校長説教集を過去ブログより転載いたします。

以下よりご覧ください。

校長説教集① 「あなたたち偽善者は不幸だ」

校長説教集②「ユダヤの民全体の悔い改めと祈り」

校長説教集③「イエス様を裏切る弟子たち」

校長説教集④ 「侮辱に耐えるイエス様」

校長説教集⑤ 「祝福を約束してくださる主」

校長説教集⑥ 復活なさったイエス様

校長説教集⑦ 「バブコックの信仰と生涯」

校長説教集⑧ 湖の岸辺の群衆

校長説教集⑨ 種を蒔く人のたとえ

校長説教集⑩ 「五千人に食べ物を与える」

校長説教集⑪ 「湖の上を歩く」