新井秀校長説教集42~墓に葬られるイエス様~

校長

2020年10月12日(月)
朝 の 礼 拝
- 墓に葬られるイエス様 -

『マルコ』15:42~47

1 はじめに

イエス様は金曜日の午後3時に息を引き取りました。午後の6時になれば安息日の始まりです。一切の行動が禁止です。あと3時間しかありません。ユダヤ人が絶対服従の旧約聖書の中の『申命記』22章23節には、「死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである」と書かれています。 続きを読む →

新井秀校長説教集41~キレネ人シモン、イエス様に出会う~

2020年10月8日(木)
朝 の 礼 拝
- キレネ人シモン、イエス様に出会う-

『マルコ』15:21~25

1 背景

いよいよイエス様が十字架に付けられる場面です。今日の聖書は、約2,000年前のエルサレムでの、金曜日の朝9時前の出来事です。弱虫のローマ総督ピラトは、群衆の暴動を恐れ、ローマ皇帝に自分の悪い噂が伝わることを恐れ、イエス様には何の罪もないと知りながら、十字架刑を許可しました。明日は土曜日、安息日、何もしてはならない日です。今日中に十字架に架けてしまわねばなりません。イエス様に重い十字架を担がせて、処刑場であるゴルゴタの丘まで進みました。この道はラテン語で「ヴィア・ドロローサ」(苦難の道)とか、「ヴィア・クルキス」(十字架への道)と呼ばれています。1キロ近い長さです。 続きを読む →

新井秀校長説教集40~最高法院で裁判を受けるイエス様~

校長

2020年10月1日(木)

朝 の 説 教

- 最高法院で裁判を受けるイエス様 -

『マルコ』14章53節~65節

今日は、イエス様が捕らえられ、弟子たち全員に逃げられてしまい、一人、夜中の裁判の場に引き出されたところです。イエス様の裁判をおこなった最高法院は、ユダヤの国会です。 続きを読む →

新井秀校長説教集39~ナルドの香油~

2020年9月17日(木)

朝 の 説 教

- ナルドの香油 -

『マルコ』14章3節~9節

1 あらずじ・・・最初に、少し解説を加えながら今日の話を辿ってみます。イエス様と弟子たちはエルサレムに近いベタニア村にいました。一同が食事をしようとすると、一人の女性が、イエス様に純粋で大変高価なナルドの香油を注ぎかけました。 続きを読む →

新井秀校長説教集38~大きな苦難を予告する~

2020年9月10日(木)

朝 の 説 教

-大きな苦難を予告する-

『マルコ』13章14 節~23 節

『マルコ』13章は、良く「小黙示録」と呼ばれ、分かりにくい箇所です。キリスト教が当時のローマ権力やユダヤの指導者たちから非難され、迷惑がられていたために、わざと分かりにくい象徴的な表現をしたからです。でも13章全体でイエス様が伝えたかったことははっきりしています。それは、 続きを読む →

新井秀校長説教集37~律法学者に気をつけなさい~

2020年9月4日(金)

朝 の 説 教

-律法学者に気をつけなさい-

『マルコ』12章38節~40 節

イエス様は「律法学者に気をつけなさい」と言っています。何故でしょうか?

イエス様の時代、今から約2,000年前のイスラエルでは、律法(法律)が事細かに決められていて、人々の生活の隅々まで支配していました。一例を挙げるなら「安息日規定」です。安息日に歩いて良いのは約1,100mまでで、それを破ると厳しく罰せられました。「~してはならない」という禁止の律法が365、「~しなさい」という律法が248、計613もありました。こうした律法を知り、忠実に守れば良い人間、神様に祝福される人間になり、逆に守っていなければ悪い人間、神様から呪われる人間と見なされました。だから律法の専門家である律法学者たちは、人々から尊敬され、学識もあり、豊かな生活を享受していました。でもイエス様の目は誤魔化せません。イエス様は彼らの心を見抜いていました。表と裏の全く違う偽善者としての実態です。 続きを読む →

新井秀校長説教集36 2学期始業礼拝~友のために命を捨てる愛~

2学期 始業礼拝

- 友のために命を捨てる愛 -

『Ⅰヨハネ』3章16 節~18 節

8月6日からの例年より短い夏休みでしたが、きっと元気に有意義に過ごしたことと思います。残暑が厳しいですが、コスモスが咲いたり日暮れが早くなったりして、秋の到来を感じる頃となりました。これからの2学期、一人一人自分の目標達成のために精一杯努力してください。努力の向こうには必ず喜びや感動が君たちを待っています。水泳の池江選手の久しぶりの泳ぎと涙を見て、私は改めてそのことを教えられました。

今日は16節のヨハネの言葉「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです」について話したいと思います。これはイエス様の十字架の死と愛を言っています。大事な命を他人のために捨てるなんて、我々にはとても出来そうにありませんが、1学期の終業礼拝で話したように、サイクリングの途中、雨で濡れ、困っていた大学生の私に宿を提供し、食事までご馳走して下さった三戸の小学校の校長先生のような親切なら私たちにも出来るかもしれません。

コルベという神父の話をします。1941年、今から約80年前、アウシュビッツの収容所で餓死した神父です。ナチスを率いたヒットラーはユダヤ人とカトリックの神父を最も憎みました。ポーランドに侵攻したドイツ軍は多くのユダヤ人を捕らえ、家畜を運ぶための貨物列車に積み込み、アウシュビッツ強制収容所に送り込みました。収容所の食事は、一日にひとかけらパンのみでした。

コルベ神父は14号棟に入れられました。ある日、14号棟からパン職人であった一人の男が脱走しました。大がかりな捜索にもかかわらず、逃亡者は発見されませんでした。決まりで、無差別に選ばれた10人が責任を取らされ、餓死刑に処せられることになりました。夕方、フリッツ大佐が現れ、10名が読み上げられました。するとその中の一人、囚人番号5659、フランシスコ・ガヨヴニチェクが「わたしには妻がいる!子供がいる!」と叫んで泣き崩れました。

この時、驚くべきことが起こりました。コルベ神父が列を離れ前に進み出たのです。何事かと親衛隊員は自動小銃を構え、フリッツ大佐はピストルに手を当てました。コルベ神父は帽子を脱ぎ、直立不動の姿勢をとり、静かに言いました。

「お願いしたいことがあります」。
「何事か!」
「私には妻も子もいません。それに私は老人です。でも、あの人には家族があります。あの人の身代わりになりたいのです」。その場にいた全ての人が驚愕し、耳を疑いました。コルベ神父に圧倒されたフリッツ大佐は、返す言葉を失い、コルベ神父の求めに応じたのでした。コルベ神父はいつもこう言っていました。「憎しみからは何も生まれません。愛だけが創造するのです。苦しみは私たちを消滅させはしません。私たちがもっと強くなるように助けるのです」と。

コルベ神父ら10名には一滴の水も、一切れのパンも与えられませんでした。何人かは発狂して死にましたが、「コルベ神父のいた18号室からは、絶えず祈りと讃美歌が聞こえていた」との証言が残っています。1941年8月14日、コルベ神父は殉教の死を遂げました。

私たちにはとてもイエス様やコルベ神父のようなことは出来ませんが、コルベ神父が残した「憎しみからは何も生まれません。ただ愛だけが創造するのです」という言葉を、しっかり心に刻みたいと思います。

 

新井秀校長説教集35~行いをもって誠実に愛し合おう~

2020年8月5日(水)
1学期 終業礼拝

-行いをもって誠実に愛し合おう-
『Ⅰヨハネ』3章16 節~18 節

長い一学期を終え終業の日を迎えることが出来ました。コロナ感染の拡大や大雨による被害など、大変な毎日でした。そんな中、君たちは良くルールを守り感染拡大を防いでくれました。協力に心から感謝します。明日から例年より短い夏休みです。目標をしっかり立てて、楽しい、でも充実した夏休みにしてください。特に3年生は自分の進路を決める重要な時です。悔いの無いように全力で自分の未来を切り開いていってください。

1~2年生は「培其根」(ばいきこん)、「その根を培う」、勉強でも部活でも資格取得でも、力を付ける絶好の時期です。自分を高める夏休みになるよう期待しています。

さて、先ほど読んでいただいた聖書の言葉について、私の感じていることを短く述べたいと思います。1学期の始業式でもこの言葉から話をしました。2・3年生は覚えていますか?こんな内容でした。「仏教には『無財の七施』という教えがある。お金を全く使わないで人に親切をする方法が7つもある。その4番目が『身施』(しんせ)。身体を使って親切をすることです。ドラえもんの声優だった大山のぶよさんは、小学生の頃、毎朝家の外の掃き掃除をしてから学校に行っていた。ある朝寝坊したのでお母さんに『今日は掃き掃除しないで学校に行っていい?』と聞くと、母は駄目だと言う、泣きべそをかきながら外に出ると何と道路が綺麗に掃除されている。となりの叔母さんがニコニコしながら「今日はおばちゃんがやっといたよ!早く学校に行きな!遅刻しないですむよ!」。これが身施、身体を使ってする親切だという話でした。

今日は私の受けた親切の一つを話します。大学2年の秋、私は1週間かけて青森から栃木県の小山までの約700キロを自転車で1週間かけて走りました。

高校の地理の教師になる夢はあったものの、中3で母を失ったショックから立ち直れずもがき苦しむ日々でした。何とかしようと荒療治です。自転車は3段変速のママチャリ。先に青森に駅留めで送り、私は「八甲田」という夜行急行で行きました。朝5時に着いたのに肝心の自転車が着いてないとのこと。やっと10時に自転車が着き、急いで目標の二戸への100キロを走りだしました。夕方辺りが暗くなり、小雨も降って来ました。まだ手前の三戸です。風邪を引いたら大変!咄嗟に「小学校を見つけて、庭にテントを張らせてもらおう。手洗い場もあるだろうし、水も使わせてもらおう」。幸い近くに小学校がありました。

でも校舎に明かりが点いています。誰かがいるのです。勝手にテントを張れば「不法侵入」と言われかも。恐る恐る挨拶に。「こんばんは!」中から若い先生が出て来ました。「二戸まで行って公園にテントを張って泊まらせてもらうつもりだったのですが、暗くなってきてしまい、雨も降ってきたので、今晩校庭の隅にテントを張らせてもらえませんか?また水も少し使わせてもらえませんか?」と頼みました。「いや私では答えられないから校長に聞いてきます」と。

やがて校長先生が玄関に現れ、「自転車で青森から栃木まで?大学生だって?テントをこれから張るのも大変だろう。保健室に小学生用の小さいベッドがあるからそこに寝たらどうだい?」と。「有難うございます!雨に濡れずに済みます」。

少しして校長先生。「君、お腹減ってないか?何か食いたいものある?奢ってやるよ!」。「え!本当ですか?いいんですか?じゃーカツ丼お願いします!」。どうもこの小学校では秋の運動会が無事終わり、校長先生は上機嫌だったようです。カツ丼をご馳走になった私は、疲れからあっという間に寝てしまいました。

翌朝早く目を覚ました私は、校門から校舎を振り返って深々と頭を下げ、「有難うございました!この御恩は一生忘れません!」と言って、次の目的地盛岡を目指して走り出しました。

ヨハネは「言葉や口先だけではなく、行いももって誠実に愛し合おう」と言っています。そしてその見本は何よりもイエス様の生き方にあると教えています。人から親切にされたら、人間、人に親切にしないではいられません。こうして幸せと喜びの輪が拡がるのです。皆さんも色んな親切を受けてきたことでしょう。今度は君たちが他人に親切にする番ですよ!

新井秀校長説教集34~わたしの家はすべての国の人の祈りの家~

2020年7月29日(水)

朝 の 説 教
-わたしの家はすべての国の人の祈りの家-
『マルコ』11章15 節~19 節

今日のイエス様は、いつもの柔和で優しいイエス様とは違い、怒っています。商人たちのテーブルや椅子をひっくり返したり、別の福音書では「縄で鞭を作り、両替屋の金をまき散らし、鳩を売る者たちに『このような物はここから運び出せ』と命じています。イエス様は何に対して怒っているのでしょうか? 続きを読む →

新井秀校長説教集33~仕える者になりなさい~

2020年7月21日(火)

朝 の 説 教

-仕える者になりなさい-

『マルコ』10章35 節~45 節

1 はじめに・・・イエス様は三度も弟子たちにご自身の受難予告をしました。何の罪もないのにひどい侮辱を受け十字架で殺されるのです。イエス様は、どんなに辛く苦しい気持ちだったでしょうか。それなのに弟子たちはイエス様の苦しい心などそっちのけ。誰が一番偉い弟子かをめぐって言い争いをしていたのです。とんでもないことです。でもそんな弟子たちに対してイエス様は、「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」と、静かに、でもしっかりと諭されました。 続きを読む →