新井秀校長説教集46~ペテロとコルネリウスの出会い~

校長

2020年12月9日(水)

朝 の 説 教

- ペテロとコルネリウスの出会い -

『使徒』10章34節~43節

 

使徒言行録の著者ルカは、10章の殆ど全部を使ってペテロと異邦人コルネリウスの出会いを伝えています。昨日の聖書箇所も含めて大切な三つのことを話したいと思います。

第一は「謙遜さ」ということです。ペテロは遥々カイサリアからやって来たコルネリウスの使者を丁重に迎え、家に泊まらせました。これは、異邦人とは付き合わないユダヤ人の常識を破る行為であり、驚くべきことです。またカイサリアに来てくれたペテロに対するコルネリウスの態度も、極めて謙遜です。25節に「コルネリウスは迎えに出て、足元にひれ伏して拝んだ」とあります。それに対するペテロも負けず劣らず謙遜です。「お立ちください。わたしもただの人間です」と言いました。「ただの人間」とは、「その辺に転がっている石ころのような者」という意味です。イエス様の直弟子だからと言って特別な人間ではなく、神の前には皆平等だと言っています。このようにペテロもコルネリウスも謙遜を貫いています。神様・イエス様の前に出るとき、我々には何ら誇るべきものはなく、皆兄弟姉妹であることを教えてくれる素晴らしい箇所です。

第二は35節の「どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」というペテロの言葉です。確かにイエス様はユダヤ人としてベツレヘムに生まれ、ナザレで育ちました。30歳で公生涯に入ってからは、専らユダヤ人相手に熱心に福音を伝えました。でも、ユダヤ人はイエス様を救い主(キリスト)とは信ぜず、やがて福音は、異邦人(ユダヤ人以外の人々)に告げられるようになりました。

今世界中に、イエス様を信じる人が約25億人います。世界の人々の3人に1人の割合です。アメリカにも、ヨーロッパにも、中国にも、ブラジルにも、アフリカにもいます。肌の色や言語の違いは関係ありません。皆、自分たちの言葉に訳された聖書を読み、自分たちの言葉で神様・イエス様に祈っています。とても素晴らしいことです。私自身かつて訪問したことのあるアメリカ・カナダ・グアテマラ・チリ・台湾など多くの国に、同じイエス様を信じる多くの友人がいます。本当に素晴らしいことです。

第三は少し難しいことですが、「三位一体」ということです。三位一体、漢字の三、み(位)、一体は一つの体、と書きます。38節に「神は、聖霊と力によってこの方(イエス)を油注がれた者となさいました」とあります。ここに、神・イエス・聖霊の三つが揃って出て来ます。

今から1,700年程前、キリスト教で大論争がありました。アリウスという人が「キリストは普通の人間よりはすぐれた方ではあるが、神よりは低い存在で
あって、決して神と同一の存在ではない」と主張したのです。これに対して、同じ教会の若い執事であったアタナシウスは、「もしキリストが神よりも低い存在であるなら、彼は神でもなく、人でもなくなってしまう。キリストは神につくられたのではなく、神から生まれた方であって、神と同質であり、さらに聖霊もまた、父なる神と同質である」と主張したのでした。若いアタナシウスの、何ものをも恐れない勇気と、確たる信仰が神に用いられ、アリウスの説は異端として退けられました。一度は失脚したアリウスでしたが、やがて勢力を盛り返し、アタナシウスは計5回も追放の苦しみを経験しました。しかし彼は挫けることなく、文字通り世界を相手にして「アリウス主義」と生涯戦い抜いたのでした。彼の命を懸けた努力によって、遂に三位一体の教えが正しい教えとして決定されました。今日もアタナシウスは、「正統派の父」と敬われています。

この論争よりも約300年前、今日の聖書に記されているよう、既にペテロによって、父・キリスト・聖霊が同質であるという「三位一体」が示されていることに注目したいと思います。