新井秀校長説教集48〜命がけでイエス様の愛を伝える〜

校長

2021年1月14日(木)

3学期始業 礼拝説教

〜命がけでイエス様の愛を伝える〜

『使徒言行録』14章1~7節

 

年末・年始を終え、3学期が始まります。寮生諸君は久しぶりに帰省したことでしょう。久しぶりの家族との再会、故郷との再会はどうでしたか?コロナの影響で思い切って外出もできず、不自由な日々だったことでしょう。一体いつまで続くのだろうと悩んでしまいますが、出口のないトンネルはありません。

お互いもうちょっとの間我慢して、感染拡大防止に努めましょう。3年生は、学校に来るのは残り1か月足らずです。一日一日を楽しく有意義に過ごして、3月1日の卒業式を迎えてください。1~2年生はもうすぐ進級です。3年生・2年生になります。自分を鍛え、自分を高める努力を怠ることのない毎日を送ってください。

さて、先ほど読んでいただいた聖書から話をします。時は今から約2,000年前、場所は今のトルコです。パウロとバルナバは、遥々ここまでイエス様の愛を伝えに来ました。「素晴らしい教えだ!」と共感して信仰に入る人もいれば、それを激しく妨害する人もいました。反対派は、石を投げて二人を追い出そうとしました。難を逃れながら、尚もパウロとバルナバは行く先々でイエス様の福音を伝えました。イエス様の教えを伝える時、いつの時代でも必ず激しい反対が待ち受けています。でもイエス様を信じる者は、それに負けずに語り続けてきました。イエス様の遺言である「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(『マルコ』16:15、口語訳)に忠実に従うパウロとバルナバの生き方が感動的です。

今日は、ジェームス・カーチス・ヘボンの話をします。今から約200年前、日本では江戸時代の末期にアメリカで生まれた眼科医です。彼の生涯と信仰はいつも私の心を激しく揺さぶり感動させます。彼の素晴らしさを10個述べます。

第1は、 ニューヨークで眼科医として有名になり、いくつかの病院を経営し、地位も名誉も財産も持ちながら、それら一切を捨てて、イエス様の愛をまだ知らない日本の人々に伝えるために、妻のクララと渡って来たことです。ヘボン44歳の時でした。

第2は、両親の反対を押し切り、3人の子供の中で唯一人生き残った若い息子のサムエルと別れてまで来日したことです。「神様が日本に行けと言うのだから、神様はきっと両親とサムエルを守ってくださる筈だ」と確信していたのです。素晴らしい信仰です。

第3は、6か月もの長くて苦しい船旅をして、日本に来たことです。今なら飛行機で11~12時間で来日出来ますが、船酔いによる吐き気や食欲不振、赤道を越える時の猛烈な暑苦しさ、それらに悩まされながら、でも日本に行ってイエス様のことを伝えたいという気持ちが凄いです。

第4は、日本での慣れない不自由な生活に負けず、病人を癒し、福音を伝え続けたことです。二人は横浜の成仏寺という寺の一部屋に住みました。ベッドもなく、机と椅子もなく、西洋式トイレもない、昔のお寺です。立派な洋風建築の家に住んだのではないのです。でも彼らは負けませんでした。

第5は、多くの病人を癒しながらイエス様の愛を伝えたことです。江戸末期から明治の初め、日本には目の悪い人がたくさんいました。眼科の名医であるヘボンは、それを喜んで治してあげました。コレラが流行した時はコレラも治し、以来、ヘボン先生の所には多くの病人が押し寄せるようになったのでした。

第6は、和英辞典を作ったことです。日本語を全く知らずに来日したヘボンは、治療に来た患者たちから一つ一つ日本語を学んで行きました。また「これは日本語で何と言うの?」と聞き、それをノートに書き留め、やがて和英辞書を作ったのです。何という努力家でしょうか!その情熱は驚くばかりです。

第7は、聖書の日本語訳をしたことです。日本人にイエス様のことを伝えるためには日本語の聖書がどうしても必要です。日本語を少しずつ覚えた上に、聖書まで日本語に訳したのです。驚きと感動です!

第8は、ヘボン塾を開き、多くの優秀な人材を育てたことです。塾と言うと日本史で勉強したシーボルトの鳴滝塾や吉田松陰の松下村塾などを思い出します。ヘボン塾からは高橋是清という総理大臣や、三井物産の創始者益田孝などが育ってゆきました。更にこの塾が発展して、明治学院大学や、女子教育の名門フェリス女学院が生まれました。

第9は、二人の終生変わらぬ日本への愛です。妻のクララが日本人暴徒から大怪我をさせられたことがありましたので、普通なら「野蛮な日本人!」と日本人・日本が嫌いになりそうですが、日本に33年もの長い間住み、アメリカに帰って96歳で亡くなるまで、終生日本を愛し続けました。

第10、最後は、絶対的な神様への信頼です。イエス様の教えにこれ程従った人生はないと思います。ヘボン夫妻の人生は、全てを神様・イエス様に委ね切った人生でした。そして明治学院大学の校訓にもなっている「Do for others」を身をもってやり通した人生でした。これは聖書にある「Do for others whatyou want them to do」・「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(『マタイ』7:12)というイエス様の教えです。日本語でも英語でも是非暗記して欲しい大切な教えです。

最後に、とても感激した話をします。この度の大雪で北陸道に1,500台もの車が立ち往生しました。3日間食べる物もなく、トイレにも行けず、ガソリンが無くなる心配など、死の恐怖と戦う中、自衛隊の人たちが徹夜で救出に当たってくれました。素晴らしいことです。餃子のチェーン店「王将」の店長は従業員7人と協力して、300人分の餃子やチャーハンを徹夜で作り、歩いて立ち往生している車の人たちに届けました。どんなに美味しく嬉しかったことでしょう!涙が出そうです!店長たちは家にも帰らず、店の駐車場に置いた車の中で寝起きして作った暖かい料理を、無料で振舞ったのです。素晴らしいです!感動しました!私もこの真似事くらいできる人間になりたいなー、と思いました。

私たちも愛を実行できる一人一人でありたいと思いました。厳寒の中、心が温まる素敵な感動的な出来事でした。