新井秀校長説教集66~断食についての問答~

2022年5月25日(水)

朝 の 説 教

- 断食についての問答 -

『ルカによる福音書』5章33 ~35 節

1 この出来事の背景・・・今日の聖書箇所は昨日の「レビを弟子にする」に繋がっています。レビは徴税人でした。敵国ローマの手先となって自国民から厳しく税金を取りたて、私腹も肥やしていた人々で、「売国奴」とか「裏切者」と呼ばれ、皆からひどく嫌われ、盗賊や人殺しと同類と見なされていました。私はレビも自分自身が嫌いだったのではないかと思います。「こんな人生では駄目だ!改めなくてはいけない!」と思っていた筈です。だからイエス様から「わたしに従いなさい」と言われるとすぐ「何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従う」ことが出来たのだと思います。レビは後にイエス様から「マタイ」という名前を頂きました。「神様からの贈り物」という素敵な意味の名前です。彼はイエス様の素晴らしい言動を『マタイによる福音書』として書き残した人でもあります。

喜びと感謝で一杯だったレビは、イエス様や弟子たち・知人らを招待して食事会を開きました。怒った律法学者やファリサイ派の学者たちは,「なぜあなたたちは徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか」と詰問しました。「悪い人間からは離れるべきではないか!それは当然のことではないか!イエスよ、何故あなたはあんな人と食事を共にするのか?おかしいとは思わないのか!」と攻め立てました。それに対してイエス様は、「医者を必要とするのは健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」と明快に答えたのです。「あなたたちは自分は健康だ、自分は正しいと言うが、それは自分勝手にそう思い込んでいるだけで、実は人間は皆病人であり皆悪人なのだ。だから人間は皆、神様やキリストに教えられ励まされて生きていくべきなのだ」とイエス様は言っているのです。このイエス様の教えは親鸞の〈悪人正機〉の教えに繋がりますね。「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや」の教えです。

 

2 断食について・・・律法学者やファリサイ派の学者たち、洗礼者ヨハネの弟子たちは、度々断食していました。週に2回、朝6時から夕方6時までの12時間の断食です。彼らは自他ともに認める〈超真面目人間〉であり〈優等生〉でした。それに対しイエス様と弟子たちが断食をしていないので、「なぜあなたがたは断食しないのか!?」と批判したのです。イエス様は断食を否定していません。ご自分でも40日40夜荒野で断食されました。ここでもイエス様の答えは明快です。

(1)イエス様は当時の指導者たちのしている断食は、人に見せびらかすためであり、人から立派ですねと褒められたいためであることを知っていましたから、彼らの断食には意味がないと言い返しました。〈山上の説教〉でイエス様は、「偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする」と批判しています。断食は大きな悲しみにある時や強い願い事がある時に、必死な祈りと一緒に行われるべきものです。人に見せびらかすためのものではなく、人に褒めてもらうためのものでもありません。イエス様は彼らの身勝手と精神的堕落を厳しく批判したのです。

(2)二番目の理由は、今が喜びの頂点である結婚式の最中だからです。花婿はイエス様、花嫁はそこにいる一人一人です。イエス様の時代の結婚式は盛大で何と1週間も続きました。美味しい料理が並び、上等なぶどう酒が準備されました。この喜びの日のために一家で節約し貯金して開く1週間の結婚式です。人生で最大の喜びである結婚式の最中、何故暗い顔をして断食など出来ようか!と言っているのです。イエス様は食事をとても大切にされたお方でした。〈食事を共にする〉とはその人と友達になることであり、最も親しくなる方法であり、愛の通い合う行為です。あまりに頻繁に人々と食事を共にするので人々から「大食漢で大酒飲み」などと揶揄された位です。でもそれは全くの誤解であり、イエス様は大らかに感謝しつつ食事を楽しまれたお方だったのです。

(3)三番目にイエス様は「しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる」と言いました。イエス様が捕らえられ、十字架刑で殺されることを言っています。その日には弟子たちはもちろん、多くの者が悲しみにくれ、断食し祈りを捧げると言うのです。「しかも私をローマに訴え出て殺すのはあなたたちなのだ!」と告発しているのです。

 

食べ盛りの皆さんは「断食など私には関係ないこと」と思うでしょうね。でも私たちは皆、毎日断食をしているのです。英語の辞書で朝食を意味するbreakfastを調べると「breakfast(朝食)はbreak(破る)+fast(断食)から出来た言葉で、前の晩から続けていた断食を破って初めてとる食事が朝食であることに由来する」とあります。イエス様は友と一緒に食べること飲むことをとても大切にされました。私たちもイエス様に倣い、毎回、感謝して美味しく食事をいただく者でありたいと教えられました。