新井秀校長説教集95~イエスの仲間と言い表す~

            2023年6月28日(水)

朝 の 説 教

- イエスの仲間と言い表す - 『マタイ』10:32~33

今日の聖書記事はとても厳しい内容です。大勢の人々の前で、「私はイエス・キリストの仲間です。わたしはクリスチャンです」とはっきり言えるかどうかが問われているからです。皆さんを初め日本人の殆どがクリスチャンではないのですから、土台こんな要求を皆さんにするのは無理です。ここでのイエス様の言葉は、心の中ではイエスはキリストであると信じていながら、人前では自分がクリスチャンであることを隠したり、なるべくそのことに触れないで生きていこうとする、いわゆる「隠れキリシタン」・「隠れクリスチャン」に向けられた言葉だと思います。

正直今の日本のように、いくら憲法で信教の自由が保障されていても、「私はクリスチャンです。イエス様を信じています」と公に言うことはとても勇気の要ることです。「えー?あんたがクリスチャン?」とか、「外国の宗教を信じてるの!」とか「付き合い憎い人だわねー」とか、「何か偉そうにしているわねー」とか、次々に嫌なことを言われるからです。

遠藤周作が書いた名著『沈黙』では、江戸時代初期、鎖国でキリシタン禁制下の日本に、強い意志と責任感をもって来日した宣教師、フェレイラとロドリゴの二人が厳しい拷問と迫害に屈して信仰を捨てていく様子が描かれています。最後の

「踏み絵を踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう充分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみを分かち合う。そのために私はいるのだから」

「主よ、あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」

「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのだ」

という記述はとても印象深いものです。

第二次世界大戦中の日本、今から僅か70~80年前の日本では、クリスチャンたちは「天皇と神様とどちらが偉いと思っているのだ!」と脅迫され、危険な思想の持ち主と言うことで絶えず特高に尾行され、捕らえられ、拷問を受け、死んでいった人もいました。日曜日の礼拝には「宮中遥拝」が義務付けられていました。礼拝の冒頭、全員が起立して皇居の方角に向きを変え、現人神であるとされた天皇に頭を垂れ、礼拝することが義務付けられていたのです。兵役拒否も出来ず、赤紙(召集令状)一枚で戦場に駆り出され、家族と別れ別れになり、望まぬ人殺しをさせられたのです。仮に、「私はクリスチャンだ。そんなことは出来ない!聖書の教えに反することだ」と良心的兵役拒否を主張でもすれば、即刻捕らえられ、拷問を受け、非国民と見なされ、家は村八分となって孤立し、生きて行けない状態に追い込まれたのです。そんな状況の中で「わたしはクリスチャンです。イエス様と聖書に従って生きてゆくのです」と言って生きることは殆ど不可能だったのです。

イエス様は十字架で殺されましたが、三日後に復活され、弟子たちや多くの人々に現れて勇気と希望を与えてくださいました。だからどんな迫害にも耐えることができたのです。64年の暴君ネロの迫害で筆頭弟子のペテロや世界伝道を始めた使徒パウロが殺されました。更に249年にはデキウス帝によるキリスト教の絶滅を目的とした全国規模の大迫害がありました。303年にはディオクレティアヌス帝によって歴史上最大規模の迫害が起こり、皇帝崇拝を拒否するすべてのクリスチャンを殺し、教会を破壊し、聖書を焼き捨て、牧師を処刑することが行なわれました。その結果どうなったでしょうか?キリスト教やクリスチャンは消えてなくなったのでしょうか?いいえ!ローマ皇帝は、もはやどのような権力によっても、どのような迫害によってもキリスト教徒を絶滅することは不可能であることを認めざるを得なくなり、かえって、当時既に外敵の侵略と国内の統一の乱れによって衰退し始めたローマ帝国を救うには、キリスト教によって精神を統一することが有効な方法であることが分かり、遂にキリスト教は392年ローマの国教になったことを歴史が証明しているのであります。イエス様が十字架でなくなられてから約360年後の出来事です。

私は心静かに、でも決然と「わたしはイエス様こそ我が救い主・キリストであることを信じ、イエス様に従って生きる努力をしている者です」と言い切ることの出来るよう、今改めて神様に祈る者であります。