新井秀校長説教集12 6月19日(水)

1 背景
イエス様の後にはいつも群衆が従っていました。今日の聖書では、その数何と4千人もの大群衆でした。しかも群衆は、①もう3日もイエス様と一緒にいるのに何も食べる物がなく、②空腹で、③かなり遠くから来ている人もおり、④このまま帰らせれば、途中で疲れ切ってしまう危険がありました。そうした群衆を見てイエス様は「かわいそうだ」(2節)と思いました。「かわいそうに思った」と言うより、「憐れでならない」とか「気の毒でならない」と訳したい言葉です。それに対する弟子たちの答えは、「こんな人里離れた所で、いったいどこからパンを手に入れて、これだけの人に十分食べさせることができるでしょうか」と、憤慨した絶望的なものでした。先に5千人の群衆を、5つのパンと2匹の魚で腹一杯にする奇跡を経験したばかりなのに、この弟子たちの不信仰は、一体何でしょうか?慌てふためく弟子たちに対し、イエス様は、主食としてのパン7つと、おかずとしての「小さくて少ししかない魚」を手に取り、天を仰ぎ、神に「感謝の祈り」・「賛美の祈り」を唱えてから弟子たちに分けさせました。ここでイエス様は再び、僅かな食べ物で大勢の群衆が満腹する奇跡を起こされたのでした。にわかに信じがたい奇跡ですが、大切なのは、イエス様が「感謝の祈りを唱え」・「賛美の祈りを唱え」たことにあります。神様を絶対的に信頼し神様にすがる姿勢です。これが神の心を揺り動かし奇跡を起こさせる引き金になったのです。

2 例話

6月7日の説教で、私は榎本保郎という牧師の話をしました。誰も来ない教会で、壁に向って1年近く大声で説教を続けた人です。この榎本先生が次のような話を本に書き残しています。

先生は第二次世界大戦中、中国に二等兵として駐屯していました。夜疲れて寝床に入ると、隣に寝ている筈の兵隊が、何やらごそごそ動き、小声でぶつぶつ言っています。「何や、何しとんのや?」。淡路島出身ですから関西弁です。隣に寝ていた兵隊は牧師の息子で、毎晩寝る前にはお祈りをするのでした。「お前、キリスト教なんて敵の宗教やないか!見つかったらただじゃ済まんぞ!」と脅しましたが、これがきっかけで口をきくようになり、次第に仲良くなりました。やがて日曜日に二人一組という条件で外出が認められるようになりました。するとその友達は、「お願いだから一緒に教会に行ってくれ!」と必死に頼みます。頼むだけじゃなく、僅かしか配当されないご飯とおかずを私に分けてくれ、「お願いだから今度の日曜日は教会に一緒に行ってくれ!」と頼むのです。

仕方なく日曜日、教会の玄関まで一緒に行き、そこからは中に入らずに友達が終わって出て来るのを待ちました。すると友達が顔を出し、「榎本君、教会の人がお昼を準備してくれたよ。ただで中華料理が食べられるよ!」とのこと。「ただ!」に誘われて教会の中に入り、美味しい中華料理を腹いっぱい食べたそうです。それ以降、友達は繰り返し榎本青年を教会に誘い、暇を見つけてはイエス様の話をしたのです。

戦後、二人は帰国しました。友達はお父さんの後を継いで牧師になり、榎本青年も牧師になるべく同志社大学神学部に進学しました。それから20年後、榎本牧師は牧師としてだけでなく、「アシュラム運動」を推進する著名な先生として、全国や外国を飛び回る生活でした。そんな中、この友人の父親が亡くなり、榎本牧師が招かれて葬儀の司式をしました。

葬儀が終わり親族代表の「お礼の言葉」の時です。この友人は「今日私は奇跡を見ました!あの満州でキリスト教なんて敵の宗教だ!俺は絶対そんなものは信じない!と言っていたあの榎本青年が、今や日本中、いや世界に知られる牧師になって、今日、牧師である私の父の葬式を取り仕切ってくれた!これこそ奇跡でなくて何でしょうか!わたしは今日奇跡を見たのです!」と叫び、涙ぐんだそうです。

7つのパンと小さい僅かばかりの魚で、イエス様は4千人もの群衆を満腹にしました。たった一人の友達の祈りと伝道でキリストの弟子となった榎本牧師は、命のパンであるイエス様の言葉を伝え、4千人どころか何万人もの人々の心をイエス様の愛で満腹にしました。これこそ奇跡ではないでしょうか!?