新井秀校長説教集62~木とその実~

校長

2021年7月14日(水) 朝 の 説 教

  - 木とその実 -

                     『マタイ』12章33~37節

 34節でイエス様は、「蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間である」と厳しい口調で言われました。言われたのはファリサイ派の人々です。イエス様が、目が見えず口の利けない人を癒してあげたのを見て、一緒になって素直に喜ぶのではなく、「イエスは悪霊の頭の力で病気を癒したのだ」と、妬みの心で事実と違うことを言ったからです。蝮は毒蛇です。食われたら大変です。イエス様は、ファリサイ派の人々の心には毒が充満しているから、語る言葉にも毒があると指摘したのです。

2~3年生は新約聖書の授業で、ザアカイのことを学びましたね。覚えていますか?

  •  彼の職業は何だったでしょう?
  •  彼の身体的特徴は何だったでしょう?
  •  彼は友達がたくさんいましたか?

1年生が使っている教科書からザアカイについて少し引用します。58ページです。1年生はきっと2学期に勉強しますよ。「イエスはガリラヤからエルサレムに行く途中、エリコという町を通り、そこでザアカイという人と出会います。ザアカイは徴税人のリーダーで、金持ちでした。彼はイエスの姿を一目見ようとしましたが、あまりにも人が多かったため、走って先回りし、いちじく桑の木に登りました。イエスはその場所に来ると、見上げて言いました。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい』。ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えました」。教科書からの引用でした。

イエス様に出会う前のザアカイの心は悪で満ちていました。憎きローマの手先になって重税を集める売国奴と罵られ、誰からも相手にされず、いつも一人ぼっちでした。心に思っていることは、「お金持ちになってあいつらを見返してやる!今に見ていろ!」でした。そんな憎しみに満ちた心から愛の言葉は出て来ません。でもイエス様の方から名前を読んで頂き、食事を共にし、家に泊まって頂き、ザアカイの心から悪は去り、愛と感謝で満たされました。ザアカイはイエス様の弟子に変えられたのです。全く新しい人生を再スタートさせたのです。

このザアカイの物語は多くの人の心を捕らえてきました。深井智朗牧師もその一人です。先生の著書『伝道』から少し引用します。「私が小学2年の時でした。友人の一人が言いました。『最近新しい塾ができた。みんなで行こう。教科は国語と音楽。教科書は貸してくれる。月謝は一回たったの十円だ。日曜日の朝9時開始。遅れないように』。その朝私は十円玉を握って「新しい塾」に向いました。しかしそこは塾ではありませんでした。国語の教科書というのは聖書でした。音楽の教科書というのは讃美歌でした。新しくできた小さな教会の日曜学校だったのです。優しそうな中年の女性が身振り手振り、全身で徴税人ザアカイの話をしてくれました。その一言一言を覚えてしまうほど、楽しい時間でした。今でも忘れられないのは、この先生が、『救い主イエス・キリストは木に登ったザアカイの下にいる』、と言われたことでした。救いというと、救い上げるという言葉を考えます。天にいる神が、私たちに救いの手を差し伸べて、救い上げて下さると考えます。でも救い主は、ザアカイよりも下に来たと先生は言われたのです。その話は衝撃的でした。そして更に衝撃的なことは、主イエスがその後ザアカイの家にまで来てくださり、客となったということでした。

そしてザアカイが心の底から悔い改めたことでした。不正を反省し、改め、それだけではなく、新しい人生を始めたということでした。ザアカイは背が低く「チビ!」と馬鹿にされ、敵国ローマの手先と嫌われていたのだと聞くと、ザアカイに新しい人生が始まったことが自分のように嬉しく思えたのでした。先生は『救い主イエスは、ザアカイさんの下に来た』と言うのです。『下から支えている』と言うのです。そして先生は『私もザアカイさんのように木から降ろしていただいた、受け止めていただいた』と。

このように、小学2年の智朗少年の心にザアカイの話を通してイエス様の愛の福音の種が蒔かれました。今57歳になった深井智朗先生は、牧師として教会で、大学教授として大学生に、イエス様の福音の素晴らしを語り続けています。

何と言う少年時代の出会いでしょうか。何と祝された日曜学校でしょうか!私たちも心に愛なるイエス様をお迎えして、愛に満ちた言葉を語り、愛に満ちた行動ができる者でありたいと改めて強く思わされました。