新井秀校長説教集69~種蒔きのたとえ~

校長

2022年6月17日(金)

朝 の 説 教

- 種蒔きのたとえ-

『ルカによる福音書』8章4~8節

イエス様は多くの例え話をされました。今日はその一つ「種蒔きのたとえ」です。芥川龍之介は『蜘蛛の糸』や『鼻』など、自ら多くの優れた短編小説を書きましたが、自殺の直前に書いた『西方(さいほう)の人』の中で、「イエスはたとえ話の名人だ」と称賛し、「特に『善きサマリア人のたとえ』と『放蕩息子のたとえ』は短編小説の極致だ」と絶賛しています。二つとも後で勉強しますので楽しみにしていてください。

今日の例えに出て来る〈種〉とは何の種でしょうか?福音の種です。イエス様の言葉です。その種が蒔かれる場所としてルカは、①道端、②石地、③茨の中、④良い土地、の4種類を挙げています。イエス様の言葉を聞く人間の心は様々だと言っているのです。4種類中3種類は実を結ばない訳で、イエス様の言葉を受け入れ、信じ、行動して実を結ぶ実は極めて少ないと言っています。たとえば、石地に落ちた種は「御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである」とイエス様は解説しています。個人でもそうですが、国・民族でも大きな特徴があるように思います。日本ではキリスト教の伝道が大変難しく、信者の数が増えません。クリスチャンになる人の多くはクリスチャンホームに育った人や、牧師の家庭に生まれた人です。私のように仏教の家に育ち、イエス様をキリストと信じるようになるのは極めて例外的です。教会も小さく、礼拝出席30人以下という教会が殆どです。お隣の韓国はクリスチャン人口が30%近くあり、以前私が訪ねたソウル市内の教会は、何と2万人が日曜日ごとに集まる大教会でした。でも諦める必要なんかありません。イエス様は最後の4番目に良い地に落ちた種の話をし、「ある者は30倍、ある者は60倍、ある者は100倍の実を結ぶ」(『マルコ』4:20)と言っておられるからです。

 

私の尊敬する牧師に榎本保郎という人がいました。1925年生まれ。52歳という若さで肝臓がんで亡くなられました。今でも多くの著作や説教テープが残されており、私は良く読み、良く聞きます。榎本先生の話には具体例が多く、声が大きく、淡路島出身らしくユーモア豊かな関西弁で、聞く人の心を捕らえる素晴らしい説教者です。三浦綾子さんが書いた『ちいろば先生物語』はこの榎本先生の生涯を描いたものです。今日は1975年3月に札幌でした説教「沈黙される神-チイロバ開拓の証-」から、先生を紹介したいと思います。榎本先生は同志社大学神学部に在学中、寮の友人たちと夏期学校を開き、近所の子供たちと遊んだり勉強を教えてやったりしました。そこを拠点に後に「世光(せこう)教会」をスタートさせました。ところが教会になった途端、大人も子供も来なくなり、何ヵ月もの間、誰も来ない教会で椅子に向って説教しました。「自分には伝道者としての資格がないのではないか?」「人生間違ったんじゃないだろうか?」と悩みました。ほぼ1年後、一人のお婆さんが礼拝に来ました。何とそれは隣長屋に住むお婆さんでした。「日曜日の決まった時間になると、あんたの大きな声が壁を通して聞こえて来る。でも声が小さくなると聞こえない。何か神様の話をしていることだけは分かった。一度良く聞いてみようと思って今日は来たんだ」とのこと。榎本先生夫妻は、やっと礼拝に1名の出席者が与えられたことを神様に感謝し、涙を流しました。それから少しずつ人数も増えてきました。でも貧乏に変わりなく、夕食はいつもメザシ(小さな焼き魚)と漬物と具の少ない味噌汁でした。ある夕食時、3歳になった娘さんが思わず泣きながら言ったそうです。「お肉が食べたいよー!」と。すると奇跡が起こりました。丁度その時玄関を開ける音がし、教会員の一人が来て、「先生!牛肉どうぞ!美味しいでっせ!」とのこと。早速作ったすき焼きを親子3人で食べながら、また感謝の涙がとめどなく流れたそうです。

 

イエス様は今日の譬えで、「福音の種蒔きは決して容易な道ではない。でも諦めてはいけない。必ず、多くの日の後、溢れるような実りがある」と私たちを教え励ましておられます。

 

皆さんの心が福音の種に対して①道端ではなく、②石地でもなく、③茨の覆う所でもなく、④良い土地であることを心から願う者であります。