新井秀校長説教集71~12弟子を派遣する~

2022年6月29日(水)

朝 の 説 教

- 12弟子を派遣する -

『ルカによる福音書』9章1~6節

今日はイエス様が12弟子を各地に派遣した記事です。当時は新聞もラジオもテレビもSNSもありませんから、何かを伝えるにはそこまで行って直接人々に語りかける必要がありました。関連の『マルコによる福音書』では、弟子を二人一組にして派遣したと書かれており、私もそう思います。ではペテロは一体誰とペアになったのでしょうか?兄弟のアンデレでしょうか?もしかするとイエス様は筆頭弟子のペテロとやがて自分を裏切るイスカリオテのユダとを組ませたのでは?と勝手な想像をします。徴税人だったマタイと熱心党員だったシモンをペアにしたかもしれません。弟子になる前のマタイはローマ帝国の手先となって税を取りたてていた人間、熱心党のシモンは憎きローマ帝国を滅ぼそうと狙っていた人間です。敵と味方の関係の二人でした。そんな二人をイエス様は敢えてペアにしたかもしれません。勝手な想像ですが興味は尽きません。

弟子たちを各地に派遣する目的は二つです、一つは神の国を宣べ伝えるためであり、もう一つは病人を癒すためです。イエス様の福音を伝えて人々の心の健康を実現し、病人を癒して体の健康を実現するためでした。アメリカの16代大統領リンカーンが言うように、「聖書の言葉には人間が幸せになるためのすべてが書かれている」のであります。

イエス様は持ち物についても細かい注意をしています。『ルカ』では杖も袋もパンもお金も持ってゆくなとなっています。『マルコ』では、杖の携行が許されています。道は悪いし、長く歩くし、野生動物に突然襲われるかもしれません。杖の携行は許されたと私は思います。9節に「下着も二枚は持ってはならない」とありますが、『マルコ』では「下着を二枚着てはならない」となっています。どちらが本当なの?と首を傾げてしまいます。ある聖書学者は「下着を二枚重ねて着るとは野宿する時の寒さ除けだ」と言います。イエス様はあくまでその村で弟子たちに好意を示す人・家族のお世話になって旅を続けなさいと言っておられるのです。『ルカ』10章には、「弟子たちは喜んで帰って来て、こう言った。『主よ、お名前を使うと悪霊さえもわたしたちに屈服しました』と興奮気味に語っている場面があります。きっと弟子たちの伝道旅行は大成功だったのでしょう。

 

このような弟子たちの働きは2,000年前の出来事です。今日では宣教師と呼ばれる人々が神様・イエス様から特別な任務を与えられ、各地に出て行って福音を伝えています。これを「伝道」と言います。イエス様は「わたしは道であり、真理であり、命である」と語られました。その「道」であるイエス様を伝えるので伝道と言います。先日、岩村昇青年を信仰に導いたフランシス宣教師のことを話しました。彼女もまた神様・イエス様から特別な力と任務を与えられて日本で活躍した宣教師です。彼女は1880年(明治13年)にアメリカ東部に牧師の二女として生まれました。フランシスは小さい時から海外に出て行ってイエス様の愛を伝えたいと祈り願っていました。そして僅か18歳の若さで来日しました。18歳と言えば高校3年生位の若さです。この信仰と実行力には驚きます。飛行機などない時代です。半年もの苦しい船旅を経て、言葉も気候も文化も食べ物も違う日本に来ました。以来56年間、日本を愛し日本人にイエス様の愛を伝え続けました。第二次世界大戦が始まると、敵国アメリカ人ですので大使館からは帰国勧告が出、アメリカの支援団体からは何度も「帰国しなさい!」という手紙を受け取りました。でもフランシスは、「私にとって日本は敵国ではありません。神によって遣わされた愛する国です。神はアメリカ本部の理事会よりも先に私を日本に遣わしてくださったのです。私は『わたしがお前にして欲しい仕事はまだたくさん日本に残っている』という神の声を聞いているのです」と言い張り、帰国しませんでした。そのために、スパイと疑われたり、強制収容所に入れられたり、米国本部からの援助を打ち切られたりしました。しかし戦後フランシスは松山を拠点に、戦争で傷ついた日本人を物心両面から助け、目覚ましい働きをしたのでした。彼女の優しさと実行力と溢れるばかりの笑顔は多くの日本人を癒し、彼女は松山市の誇りとされ、〈特別名誉市民〉になりました。最後はアメリカに戻りましたが、95歳で天に召されるまで神様・イエス様を愛し、日本を愛した人生でした。

 

フランシス宣教師、この素晴らしい女性のことを是非忘れないでいて欲しいものです。