新井秀校長説教集72~山上の変貌~

校長

2022年7月6日(水)

朝 の 説 教

- 山上の変貌 -

『ルカによる福音書』9章28~36節

今日の聖書箇所は「山上の変貌」と呼ばれるところです。「人の子イエス」から「神の子イエス」に劇的に変貌した場面です。イエス様は昨日の聖書箇所で、自らの十字架での死と三日後の復活を初めて弟子たちに打ち明けました。イエス様はその決断を改めて確認し、その上で、弟子の代表に自分が間違いなく神の子であることを示す必要がありました。そのために夜、ペテロ・ヨハネ・ヤコブの3人の弟子だけを連れて高い山に登られました。この高い山とは万年雪をその頂上付近にもつ大変美しい山・ヘルモン山だろうと言われています。高い山とは神が降臨される場所です。モーセが神から「十戒」を授かったのもシナイ山でした。その山に今、旧約聖書を代表するモーセとエリヤが現れ、イエス様と語り合っているのが今日の場面です。何か夢の中の出来事のような場面です。

1年生はまだ旧約聖書の勉強をしていませんから、モーセのこともエリヤのことも知らないでしょう。モーセは今から約3300年前、エジプトで何百年もの間奴隷にされていたユダヤ人をエジプトから連れ出し約束の地へと導いた英雄です。エリヤは今から約3000年前の預言者で、アハブ王などの信仰から外れた悪政を正し、人々に「神に立ち返れ!」と訴えた大預言者でした。二人は旧約聖書を代表する預言者であり指導者でした。

昨日の聖書でイエス様は、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」と言いました。「~することになっている」は英語ではmustです。神の御計画はそのようになっており、自分はその神の御意思に従って死んでゆかねばならないのだ、とイエス様は述べているのです。いくら神様の御計画とは言え、人の子イエスとしては正直避けたいことです。そうした苦しみの中、イエス様の顔の様子が変わり、服は真っ白に輝きました。原語に忠実に訳すなら「イエスの顔の様子が変えられ」です。受動態です。イエスさまの意志によってではなく神によって変えられたのです。「服は真っ白に輝いた」の真っ白も神様の臨在を表しています。マグダラのマリアたちが日曜日の朝早くイエス様の死体に油を塗ろうと出かけて墓に入ると、白い長い衣を着た若者(天使)が右手に座っていた」と『マルコ』16章にあるように、真っ白とは神の臨在を表しています。

 

ところで、イエス様とモーセとエリヤの3人は何を話していたのでしょうか?聖書にはっきりと「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」と書かれています。ここで最期と訳された言葉は〈エクソドス〉という言葉です。英語のexodusの語源になった言葉です。大文字でThe Exodus と言うと旧約聖書の『出エジプト記』のことです。本来の意味は「脱出する」とか「出て行く」という意味です。それが転じて「この世から出て行く」。つまり「死ぬ」ことを意味するようになりました。神の子であるイエス様は、神様の計画により人間の罪を赦すために十字架で死ななければなりませんでした。それは父なる神にとっても苦しく悲しいことです。でもそれ以外に人間が罪から解放される道はありません。イエス様は死ななければならい運命にありました。死ぬために生まれて来たお方なのです。

イエス様はモーセとエリヤと自分の死のことを話し、同意と確認を得、弟子たちの3人の代表にもそのことをはっきり見させ、証人とし、下山するやエルサレムへエルサレムへと、死を覚悟した旅を続けられてゆくのであります。

 

今日学んだ出来事は〈新たな出エジプト〉であります。人間が神の愛から離れて罪と欲望の奴隷になっている状態から完全に解放されることを意味しています。罪と欲望の闇からの解放です。人々が闇の中からイエス様の死の決意によって引き出されたのです。暗闇から光の中へ歩み出すことが出来るようになったのです。主イエスはそのような驚くべき計画をモーセやエリヤとの間で取り交わし、この世の闇をひっくり返す十字架と復活の道へと歩み出されたのであります。