新井秀校長説教集82~やもめの献金~

 2022年12 月7日(水)

朝 の 説 教

           - やもめの献金 -     『ルカ』21:1~4

今日の物語をより良く理解するために、最初に4つ説明します。

第一は、「やもめ」についてです。やもめは広く考えれば配偶者を亡くした夫や妻を指すのですが、ここでのギリシャ語は女性名詞ですから、この人は「女やもめ」だと分かります。英語にも男性ならば「host」、女性ならば「hostess」と分けて用いる場合があるのと同じです。

第二は、だとすると、ここはエルサレム神殿内の「婦人の庭」での出来事と分かります。エルサレム神殿には外側から①異邦人の庭、②婦人の庭、③ユダヤ人の庭がありました。ユダヤ人の女性はここまでしか入れませんでした。一番奥まで入れたのはユダヤ人男性で、更に奥に入れるのは祭司たちでした。酷い差別社会だったことが分かります。

第三は「賽銭箱」についてです。婦人の庭には用途別に13個の賽銭箱が置かれていました。賽銭箱と言うと日本の神社にある箱形を連想するでしょうが違います。ラッパ状の形をしていて、捧げた硬貨の音がわざと良く聞こえる設計になっていました。その中で金持ちたちは「どうだ!」と言わんばかりに多くのお金を献げ、対照的にこの貧しい女やもめは持っていた僅かなお金全部を献げてしまったのでした。

第四はこのやもめが献げた「レプトン銅貨2枚」はどれ位の額なのかです。レプトンとは当時の一日の給料デナリの128分の1です。もし今の日本で一日働いて6,000円貰うとしたら約47円です。50円玉2個をこの貧しい女やもめは献金したと考えて良いと思います。

次に考えたいのは何故イエス様は女やもめの話をしたかです。これは昨日学んだ47節の「律法学者たちは・・・やもめの家を食い物にしていた」に関係しています。「食い物にする」とは、「遠慮なく相手から搾り取ること」です。当時のエリートで豊かな生活をしていた、今、目の前にいる律法学者たちが、夫を亡くして貧しく虐げられている未亡人から搾り取っているとイエス様は非難したのです。愛のない欲張りな連中だったからです。

さて、今日の話でイエス様が言いたかったことは何でしょうか?「大切なのは献金の額ではなくて、持っているものの中からどの程度献金したかだ、そして献金にどれ程の感謝と献身の思いが込められているかだ」ということでしょうか?それも正しいでしょう。でもイエス様が一番言いたかったことは違うと私は思います。4節に「この人(女やもめ)は、乏しい中から持っている生活費全部を入れた」とあります。ここで「生活費」と訳された言葉はビオスと言い、「生命」とも訳せる言葉で、英語の「biology」(生命学)のバイオの語源でもあります。数日後には全てを神様に委ねて十字架の上で命を失っていくイエス様は、明日何を食べようかも厭わずに、神様に全てを委ねて今持っている全てを神様に献げ切ったこの女やもめの行いがピッタリ重なったことが嬉しく、高く評価されたのだと思います。

アメリカの教会で良く話されることに「57セントの奇跡」という出来事があります。もう130年も前の東部フィラデルフィアでのことです。少女ハッティは教会の日曜学校に来ました。ところが「中はもう一杯で入れないよ」と締め出されてしまいました。通りかかったラッセル牧師は泣いているハッティを気の毒に思いました。みすぼらしい服装から、ハッティが虐められたことを察知したラッセル牧師は彼女と手を繋ぎ、教会の中に招き入れました。それから2年後、ハッティは風邪から肺炎を併発して亡くなりました。お母さんは娘に親切だったラッセル牧師に葬儀を依頼しました。少女の遺体をベッドから降ろそうとしたとき、小さいしわくちゃの財布が見つかりました。中にはハッティの字で「もっとたくさんの子供が入れるような教会を建てるためにこのお金を使ってください」とありました。それは57セント、約75円という僅かなお金でした。感激したラッセル牧師は教会の礼拝で少女ハッティの捧げ物について話しました。新聞にも取り上げられ、アメリカ中のクリスチャンに大きな感動と衝撃が走りました。あるクリスチャンの不動産業者から広大な土地が寄付され、全国から25万ドル(約9125万円)もの献金が瞬く間に寄せられました。少女ハッティの涙の捧げ物は今日、フィラデルフィアで学生3万人が学ぶテンプル大学や、市一番の総合病院などに生まれ変わったのです。

今日の貧しい女やもめの献金も、130年程前の少女ハッティの献金も、そこに神様への感謝と献身が豊かに込められています。神様はそうした捧げ物は何倍、いや何千倍・何万倍にもして用いてくだるお方なのだということを知りたいと思います。