新井秀校長説教集85~愛のある人に~

                  2023年4 月10日(月)
第一学期始業礼拝
- 愛のある人に -

                     『ヨハネの手紙一』4:7~12

新しい年度に入りました。皆さんは進級して新3年生・新2年生になりました。おめでとう!特に3年生に言いたいのですが、時間の経つのは早いですよ。多くの部活は春から初夏に大会があり、負ければ一学期中に引退です。夏までには進路を決めておかないといけません。一日一日を大切に有意義に過ごしましょう。新2年生に期待するのは、教育者の東井義雄先生が良く語られたた「培其根」(ばいきこん)です。「その根を培う」という意味です。勉強に部活に資格取得に励み、皆さんの根を大きく太くして欲しいです。そして3年時には大きな実を結んで欲しいです。明日は入学式で202名の新入生が入って来ます。君たちには先輩として良い見本になって欲しいです。

さて、先ほど読んで頂いた聖書の内7節の「愛する者たち、互いに愛し合いましょう」は、今年度の聖書の言葉として神様から与えられたものです。愛は決してキリスト教の専売特許ではなく、儒教では「仁」、仏教では「慈悲」が愛を意味します。人の心に愛があり、学校や社会が愛で溢れていたら、どんなに心が暖かく嬉しい気持ちになることでしょう。「愛」(アガペー)は本校が創立以来一貫して大切にしてきたものです。

今日はその愛について、菊池寛の短編小説『恩讐の彼方に』を例に話したいと思います。この物語の主人公市九郎は、旗本の中川三郎兵衛の下男として働いていました。ところが主人の妾のお弓と深い仲になってしまい、そのことを主人に気付かれてしまい、市九郎は怒った主人に切り殺されそうになりました。もみ合いの後、逆に市九郎は主人を刺し殺してしまいました。江戸を出奔した二人は峠道で茶店を開きましたが、それは表向きで、本業は旅人を襲う強盗でした。3年後、改心した市九郎はお弓と別れ、禅寺で修業を受けて了海という僧侶になり、全国行脚の旅に出ました。あるとき彼は九州の耶馬渓という渓谷にさしかかりました。断崖絶壁に囲まれたその渓谷は、多くの人が命を落とす旅の難所でした。了海は罪滅ぼしのためにその崖にトンネルを掘ることを決意しました。しかし掘削機もない江戸時代、鑿(のみ)と金槌だけでこつこつと掘って行くしかありません。初めは彼を手伝ってくれた村人も、すぐに音を上げてしまいました。しかし了海は雨が降ろうが風が吹こうが、トンネルを掘り続けました。そこへ一人の侍が通りかかりました。この侍こそ中川三郎兵衛の息子、実之助でした。仇討をするべく剣術を習い免許皆伝の腕前でした。実之助はこのお坊さんこそ父を殺した憎き仇だと知りました。了海は潔く自分が犯人であること、即刻首をはねるようにと告げます。でも了海を助けていた住民が、「このトンネルが完成するまで仇討を待ってくれ」と必死に懇願しました。実之助はその申し出を受け入れ、やがて自分もトンネル堀を手伝い始めました。それから数年後、工事を始めてから何と21年後、堀り進む壁にぽっかりと小さな穴が開き、向こう側の光が届きました。トンネルが貫通したのです。了海は衣服を正して正座し、実之助に「お約束のときがきました。どうぞお父上の仇を討って下さい」と言いました。しかし、長年一緒に並んで石を掘っていた二人の間には、最早恨みも憎しみも消えていました。了海と実之助は抱き合い、トンネルの完成を祝ってうれし涙を流したのです。

これは小説です。同じような出来事を参考にしたとはいえ、フィクションです。でも何と感動的な話でしょうか?罪多い市九郎が改心して僧侶了海となったこと、愛による罪滅ぼしとして交通の難所にトンネルを掘る人間に変えられたことは真に感動的な話です。また毎日同じ仕事をする中で、いつしか憎しみも怒りも溶けてなくなり、愛だけが二人を結び付けたのも感動的です。

『恩讐の彼方に』は図書館にありますから、是非読んでくいださい。ついでに、同じ菊池寛の『父帰る』という小説も是非読んでください。これまた大変感動的な作品で、家族間の愛の素晴らしさを描いた傑作です。

「愛は神から出るものです」と7節にありました。愛は何か?それは神とキリストが見本を示してくださっています。私たちも愛の心をもって生きる者でありたいと思います。