新井秀説教集67~与えなさい~

校長

2022年6月3日(金)
朝 の 説 教
- 与えなさい -
『ルカによる福音書』6章38節

今学んでいるところは『マタイによる福音書』の〈山上の説教〉に対して〈平地の説教〉と呼ばれる所です。内容は同じで、人としてどう生きるべきかの教えがぎっしり詰まっている箇所です。イエス様の教えは実に積極的で、「どんどん良いことをしなさい」という教えです。「敵を愛しなさい」、「赦しなさい」、「与えなさい」等のようにです。孔子の教えに「己の欲せざる所は人に施す勿れ」とあります。またユダヤ教の律法の安息日規定では「働いてはならない」、「急病以外の病気は癒してはならない」、「900m以上歩いてはならない」とあります。どちらの教えも否定的で禁止事項ばかりです。ここからもイエス様の教えが如何に積極的で愛に満ちたものかが分かります。

私は今日、38節の「与えなさい」という教えについて述べたいと思います。イエス様の代表的な教えに「受けるよりは与える方が幸いである」(『使徒』20:35)があります。私はこれまでの自分の人生を振り返って、改めて「何て受けるばかりで与えることの少ない人生だったか」と愕然とする思いです。個人の

話で少し恥ずかしいですが、以下三つの体験を話したいと思います。

 

第一は母のことです。中学2年の頃、私は朝早く起きて勉強しようと思い立ちました。冬、昔は石油ストーブもエアコンもありません。炭を堀炬燵に起こすしかありません。母は毎朝4時頃起きて大変な火起こしをしてくれました。30分位すると炬燵はとても暖かくなり、私はウトウトする始末です。母の苦労も知らず、時にはそのまま寝込んでしまうこともありました。こんな苦労をさせたためか、母は翌年脳溢血で亡くなってしまいました。母からは与えられるだけで、私からは何一つ恩返しが出来ぬままでした。洗濯機を買ってやりたい、東京見物をさせてやりたい、1着でも洋服を買ってやりたかったです。与えるこのない、受けばかりの少年時代でした。

 

第二は、60歳から4年間牧師を目指して、昼働きながら夜神学校に学んだ時のことです。牧師になる夢を与えられたのに意志薄弱の私です。正直何度も辛くて学校を辞めたくなりました。でも「待った!」がかかったのです。それは①私の育った教会(母教会)、②東京の実習教会、③お仲人さん、そして④私が学んでいる神学校が、こんな私のために祈り、更に奨学金を毎月下さったのです。いくら意志薄弱な私でも、これだけの愛を示されたら辞める訳にはいきません。今私が牧師なれているのも、この方々の祈りと支えのお陰なのです。ここでも私は何も与えず、ただ受けるばかりの4年間の神学生時代でした。

 

第三は、こんな私にも少しだけ「与える」ことが出来たという話です。4件の奨学金を頂いて神学校に学んでいたある日、お茶の水の私の事務所にイ・サンソクという韓国人の青年が訪ねて来ました。「私は朝刊の配達をしながら千葉の大学で勉強しているが、とても生活が苦しい。私の両親はクリスチャンでギデオン会員です。どうか私をここで働かせてください」というのです。とても礼儀正しく、情熱いっぱいの態度でした。たった7名の小さな事務所でしたが、私は決心しすぐに彼を雇いました。人助けが出来たようなとても爽快な気分でした。1か月後、私は彼が毎日マクドナルドのハンバーガー2個でお昼を済ませていることに気付きました。家に帰り妻に「明日から大変だけど弁当を2個作ってくれ。1個は俺、もう一個はイ君に食べてもらいたいんだ」と言いました。妻は喜んで協力してくれました。3年後私は神学校を卒業して聖光学院に、彼は韓国に帰国しました。彼も働きながら夜の大学を無事卒業し、日本語はペラペラになっていました。それから2年後、突然イ君から結婚式への招待状が届きました。「秀先生、私は結婚することになりました。3年もお弁当有難うございました。いつも感謝していました。ここに奥様とお二人の航空券とホテルの宿泊券があります。是非都合をつけて韓国での私たちの結婚式に来てください。再会を楽しみにしています」とありました。驚きました!そして感動しました!

今日の聖書でイエス様は、「与えなさい。そうすればいつの日か溢れるほどになって返ってきます。何倍にもなって返ってきます!」と約束しています。私はイ・サンソク君に粗末な弁当を与えただけでしたが、何倍もの喜びと感謝が戻って来たことを体験させていただいたのであります。

 

「敵を愛しなさい」、「赦しなさい」、「与えなさい」、これはとても実行できないような教えです。でもそれを完璧に実践なさったのはイエス様ご自身でした。病気の人、苦しんでいる人、悲しんでいる人の傍らに立ち、時間とエネルギーと愛を与え切ったお方でした。そして最後には、私たちの罪を救うためご自分の命さえ与えられたお方です。

イエス様の言葉は真実です。私たちもイエス様の教えのように〈受ける〉ばかりでなく、〈与える〉喜びに与る者とさせていただきましょう