新井秀校長説教集50~死を覚悟した伝道~

2021年1月28日(木)

朝 の 説 教

- 死を覚悟した伝道 -

『使徒言行録』17章1~9節

今、パウロとシラスはギリシャのテサロニケという町に来ています。フィリピでは、群衆に扇動された高官たちから衣服を剥ぎ取られ、何度も鞭で叩かれて血だらけになり、牢に閉じ込められていました。でも二人の祈りが神様に届き、奇跡的に牢から脱出することができました。

テサロニケに着くと、パウロは早速ユダヤ人の会堂に行き、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と力強く証しました。その結果、ある者は信じてパウロとシラスに従ったのですが、ユダヤ人たちは彼らを妬み、群衆を扇動して暴動を起こし、二人を匿ったとしてヤソンを捕らえました。最後には保証金を奪ってパウロたちを解放したものの、10節にあるように「兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレヤに送り出した」のでした。このように行く先々で、「イエス様こそキリストである」と伝えると、激しく迫害され、命の危険さえある厳しい旅であったことが分かります。

いつの時代でも、キリストを伝えることには大きな困難と迫害が待ち受けています。全ての人に言論の自由が保障され、信教の自由が保障される世の中であって欲しいと願います。

アメリカ人でコベルという宣教師がいました。1919年に来日し、長く関東学院大学で教鞭をとった方でした。やがて戦争が始まると、1939年、コベル夫妻はアメリカ人ということで日本を追放され、フィリピンの小さな島に移住しました。でもそこに日本軍が上陸してきました。一時は山奥に逃れたのですが、勇気をもって二人は日本軍に投降しました。日本語が上手なコベル宣教師は、自分たちはかつて日本で宣教師として働いてきたこと、自分たちは戦闘員ではないことを伝えたのですが、答えは「命令なので殺す」の一点張りでした。「では1時間だけ祈る時間をください」と言い、二人は「父よ彼らを赦し給え。その為すところを知らざればなり」と繰り返し祈り、日本刀で斬殺されました。

ところがこれで終わりではないのです。真珠湾攻撃のヒーロー淵田美津雄大佐は、敗戦後故郷奈良に帰り、生きる目標を失って悶々とした毎日を送っていました。そんなある日、浦賀に、かつての自分の部下で、アメリカの捕虜収容所に入っていた一人の兵士が帰国しました。淵田さんは彼に「アメリカの捕虜収容所でどんな酷い仕打ちを受けたか」と聞きました。すると彼は「その収容所には若くて美しいアメリカ人女性が勤務していて、敵国人である我々日本人に心から優しく接してくれたのです。ある日、その女性に理由を聞いたのです。

その女の人は「自分の父が日本の宣教師として働いていたが、今回の戦争で日本を追われ、両親ともフィリピンで日本軍に斬殺されました。自分は両親が愛した日本人のために出来るだけのことがしたいと思って、日本人捕虜収容所の勤務を志願したのです」との答えでした。そこで「どうして両親を殺した日本人のためにそんなことが出来るのか?」と聞きました。すると彼女は微笑みながら一冊の聖書を見せ、「ここに書かれているイエス様の教えのためです」、と答えました。感動した私はクリスチャンになって帰国しました」とのことでした。

この話を聞いた淵田美津雄さんも、クリスチャンになったことは言うまでもありません。

困難と迫害に負けずイエス様の愛を伝える時、神様はそれを喜んで見ていてくださり、必ず大きな恵みでそれに応えて下さるお方であります。そのことを今日の聖書も、コベル宣教師ご一家も、私たちに示してくれています。