校長説教集58~神と富~

2021年5月24日(月)

朝 の 説 教
- 神と富 -
今日の聖書で大切なのは、「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」
というイエス様のお言葉です。傍線を引いてください。或いはラインマーカーで塗ってください。以前の訳では「あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」となっていました。私はこの訳の方で暗記しています。あたかも神様だけが善で、富(お金)は悪だと言っているようですが、違います。キリスト教は人が一所懸命働き、収入を得ることを否定しておりません。額に汗して働くことをとても良いことと教えています。

ところで、お金を英語で何と言いますか?moneyですね。でも英語にはmammon(マモン)という言葉もあり、これは「悪の根源としての富・お金」を意味しています。イエス様が問題にしているのはこちらの方で、富やお金の誘惑で人々が悪に染まることです。確かにお金で必要なものの殆どが手に入りますが、お金では手に入らないものもあります。ノルウエーのボルグというクリスチャン詩人の詩を紹介します。

お金

食べ物はお金で買えるが、食欲は買えない
薬はお金で買えるが、健康は買えない
ベッドはお金で買えるが、睡眠は買えない
化粧品はお金で買えるが、美しさは買えない
別荘はお金で買えるが、心地よさは買えない
快楽はお金で買えるが、本当の喜びは買えない
友達はお金で得られても、友情は得られない
使用人はお金で得られるが、忠実さは得られない
静かな日々はお金で得られても、心の平安は得られない

皆さんどう思いますか?ボルグの言う通りではないでしょうか?
私は聖書の『箴言』30章の次の言葉が好きです。「神様、わたしを貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンでわたしを養ってください。飽き足りれば神様を裏切り、神など何者かと言うおそれがあります。貧し
ければ、盗みを働き、神様の名を汚しかねませんから」。私は「アーメン!全くその通りだ」と思うのです。

旧約聖書の『列王記下』5章に出て来るゲハジという人の話をします。今から約2,800年位前、アラムという国の将軍ナアマンが重い皮膚病になり、預言者エリシャに治してもらおうと、部下を連れ、たくさんの貢ぎ物をもってやって来ました。エリシャは直接面会せず、使いの者に「ヨルダン川に行って7回身を洗いなさい。そうすればあなたの体は元に戻り、清くなります」と伝えました。ナアマンは、「わたしを一体何者だと思っているのか、会いもしないのは許せない侮辱だ、自分の国にはヨルダン川より遥かにきれいな川が何本もあるのだ」と怒りましたが、部下に宥められその通りにしました。すると、たちどころに赤ん坊の皮膚のようにきれいなすべすべした肌に回復しました。感激したナアマン将軍は、持参したお土産品を是非受け取って欲しいと頼みますが、エリシャは頑として受け取りません。やむなくナアマン将軍はエリシャ先生に何度もお礼を言い、帰国の途につきました。その一部始終を見ていたエリャした。神様に仕えているエリシャ先生よりも、お金に目がくらんだのです。

でも全てをエリシャ先生に指摘され、罰としてゲハジは、ナアマン将軍に代わって重い皮膚病になってしまったという話です。今日のイエス様のお言葉、「あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」ことを良く示した物語です。

何を第一とした人生を歩むかは、人生の大きな岐路・分かれ道です。お互い、間違った道を選ぶことのないよう、今日のイエス様のお言葉を心に刻み、従いたいと思う者であります。