校長説教集59~思い悩むな~

校長

2021年5月25日(火)
朝 の 説 教

- 思い悩むな -

『マタイ』6章25~34節

今日の聖書には「思い悩むな」という題が付けられていますが、それよりも「空の鳥・野の花」として良く知られたところです。聖書の中で最も美しい箇所です。私も大好きです。空の鳥・野の花の部分は殆ど暗唱しています。描写の美しさは、ベートーベンの交響曲第6番「田園」の第5楽章のようです。嵐が去り、森に静けさが戻って来ます。小鳥が再び囀りだし、木々から雫が落ち、日光が木々の中から差し込んでくる、あの第5楽章を思い出す美しさです。

イエス様はここで、空の鳥・野の花を例として挙げながら、人間が必要以上に自分の人生を心配することを止めなさいと言っています。人間は生きるために作物を育て、家畜を飼い、自分が食べる物を自分で育てます。でも空の鳥や野の花は、全く違います。神様から与えられたものだけで生きています。人間は、個人差はあるものの、昨日から持ち越された「過ぎ越し苦労」と、明日のことを今日から心配する「取り越し苦労」で、悩みの連続です。イエス様は、今日一日を感謝しつつ精一杯生き、後は神様の愛に委ねなさいと教えています。

19世紀のデンマークの哲学者キルケゴールは、今日の聖書箇所から『野の百合・空の鳥』という本を書きました。一部引用します。「花は黙っている。『いつ春が来るのか』と花は性急に問いはしない。花はまた言わない。『いったいつになったら雨が降るのだろうか』とか、『一体、いつになったら天気になるのであろうか』と。花は前もって『今年の夏はどうなるであろうか』と問いはしない。花はただ沈黙して待っている。花は単純である。しかし、花は決して欺かれはしない」。素晴らしい文章ですね。特に最後の「花は決して欺かれはしない」という神様・イエス様への絶対的信頼が素晴らしいです。

空の鳥や野の花は「心配ごと」とは無縁です。ただ沈黙して神様の恵みを信じて待っています。一瞬一瞬・毎日毎日を神様の恵みを受けて羽ばたき、神様から置かれた場所で花を咲かせ、実を結んでいます。空の鳥・野の花には、自分は他人からどう思われているんだろうという不安もありません。空の鳥・野の花は、神様の愛に完全に自分を委ね切っています。キルケゴールは、黙って待っている、沈黙して待っている空の鳥・野の花から、神様に信頼して生きていること、神様の声・神様の愛を聞き取る傾聴の大切さを学べと書いています。

イエス様は「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」と約束しています。そして「だから明日のことまで思い悩むな」と言うのです。

仏教の禅の言葉に「日日是好日」(にちにち、これ、こうにち)という教えがあります。「過去を悔いず、未来を夢見ず、積極的に今日を生きることができれば、毎日が最高の日になる」という教えです。」イエス様の教えに通じる素晴らしい教えだと思います。

最後に牧師であり詩人であった河野進先生の「花」という詩を紹介して終わります。今日の聖書の内容にとても近いと思うからです。

花は
自分の美しさに気がつかない
自分の良い香を知らない
どうして人や虫が
喜ぶのか分からない

花は自然のままに
咲くだけ
かおるだけ