新井秀校長説教集79~乳飲み子のように~

 2022年11月9日(水)

朝 の 説 教

           - 乳飲み子のように -   『ルカ』18:15~17

今日の聖書箇所について最初に2つ説明をしておきます。第一は、イエス様に触れていただくのは何のためかということです。これはイエス様をラビ(先生)の一人と考えた母親たちが、自分たちの幼子の頭にイエス様に手を置いていただいて祝福の祈りをしてもらうためです。第二は、それに対して弟子たちがなぜ叱ったのかです。「叱り飛ばした」とも訳せる強い言葉です。愛情のない酷い仕打ちのように思います。弟子たちは既にイエス様からに二度、「自分はエルサレムで指導者たちから辱めを受け、侮辱され、苦しめられて十字架刑で殺される」と告げられていました。 続きを読む →

新井秀校長説教集78~放蕩息子のたとえ~

2022年10月21日(金)

朝 の 説 教

- 放蕩息子のたとえ -  『ルカ』15:11~25

 

今日の「放蕩息子のたとえ」は、芥川龍之介が「短編小説の極致」と呼んだほど素晴らしい例え話です。

ある人に息子が二人いました。弟がある日突然「お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください」と要求しました。父は「何を言うか!そんなことが出来るか!」と怒って断ることも出来たのにそれを認め、慣例に従って長男の分として三分の二を取っておき、残りの三分の一を弟に分け与えました。彼は財産を全部お金に換え、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして無一文になってしまいました。「放蕩」とは「酒や女にふけり、身を持ち崩すこと」です。しかも飢饉が追い打ちをかけ、彼は食べる物にも困り、ある人の世話で豚飼いをさせてもらいました。ユダヤ人は豚を汚れたものとして忌み嫌いその肉は食べません。弟はあまりの空腹から豚の餌になる「いなご豆」さえ食べたくなる程でした。 続きを読む →

新井秀校長説教集77~安息日に水腫の人を癒す~

校長

    2022年10月12日(水)

朝 の 説 教

          - 安息日に水腫の人を癒す - 『ルカ』14:1~6

『ルカによる福音書』には安息日論争の記事が4つあります。既にその内の3つを学びました。第一が「安息日に麦の穂を摘む」(6:1~)、第二が「安息日に手の萎えた人を癒す」(6:6~)、第三は「安息日に腰の曲がった婦人を癒す」(13:10~)、そして第四が今日の話「安息日に水腫の人を癒す」です。

前回も申し上げたことですが、週に一日の安息日を設け、社会の底辺に喘いでいる女性や奴隷や寄留の他国人、さらには馬やロバなどの家畜にまで適用されていたことは、真に驚くべきことです。遥か昔にこんな愛情豊かな、弱い者の立場に立った決まりがあったことは真に驚くべきことです。ところが時が経つにつれ、愛情がたっぷり込められた安息日規定から愛の精神が消えうせ、他人の行動を監視し、決まりを守っていなければ容赦なく取り締まる、ギスギスした社会に変わってしまっていたのです。 続きを読む →

新井秀校長説教集76~狭き門から入れ~

2022年10月7日(金)
朝 の 説 教
- 狭き門から入れ -  『ルカ』13:22~24

イエス様は今エルサレムに向っています。何のためか?十字架で殺されるためです。そして三日目に復活するためです。イエス様は既に2回、弟子たちに自分の死を予告しました。今日の聖書はご自分の死が間近に迫っている中での出来事であり、その中で語られたイエス様のお言葉です。

24節に「狭い戸口から入るように努めなさい」という言葉があります。私にとっては忘れられない言葉です。高校3年の春、私は本屋でアンドレ・ジイドの『狭き門』という小説を買い通学の電車の中で読みました。表紙を開くと最初に出てきたのが「力を尽くして狭き門より入れ(いれ)」という言葉でした。今日の聖書の言葉の文語訳です。私は頭が悪く記憶力も悪い者ですが、不思議とこの言葉だけは何か心に突き刺さるような感じで、以後ずっと忘れられません。「狭き門」とは一体何だろう?その時、そう思いました。

続きを読む →

新井秀校長説教集75~安息日に腰の曲がった婦人を癒す~

2022年10月5日(水)
朝 の 説 教
- 安息日に腰の曲がった婦人を癒す -『ルカ』13:10~17

今日もイエス様は安息日に会堂で教えておられました。イエス様はその会堂の中に、18年もの長い間腰が曲がったまま苦しんでいる婦人がいるのを見つけました。可哀そうに思ったイエス様はすぐ彼女を呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」「もう治ったよ」と言われました。癒しを行われたのです。病気が奇跡的に回復したのですから周りの者全員で大声で主を賛美し喜び合っても良いのに、そうはなりませんでした。その日が安息日だったからです。何の仕事もしてはならない安息日に、急患でもなく直ぐに死んでしまいそうな病気でもないのに、イエス様が婦人の病を癒されたからです。会堂長は群衆に、「働くべき日は6日ある。その間に治してもらうがよい。安息日はいけない」と叫びました。直接イエス様に言えず、仕方なく彼は、群衆に不満をぶちまけたのです。
続きを読む →

新井秀説教集74~時を見分ける~

校長

2022年9月29日(木)
朝 の 説 教
- 時を見分ける -   『ルカ』12:54~56

ここまでイエス様は弟子たちに語って来られましたが、今日の聖書では「群衆にも言われた」(54節)とありますから、弟子たちも群衆も含めた全ての人に語ったところです。ここでもイエス様は実に巧みに例話を用いています。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに『にわか雨になる』と言う。
続きを読む →

新井秀校長説教集73~ジョン・ニュートンの人生と「アメイジング・グレイス」~

2022年9月16日(金)

朝 の 説 教

- ジョン・ニュートンの人生と「アメイジング・グレイス」 -

 

今日は聖書から離れて、先ほど聴いた讃美歌の作者ジョン・ニュートンの人生と、讃美歌451番の「くすしきみ恵み」の誕生についてお話します。皆さんは好きになった讃美歌がありますか?私は讃美歌を歌うのが大好きです!でも学校の礼拝ではコロナの影響で声を出して歌うことが出来ずとても残念です。一日も早く大声で神様を賛美できる日が来ることを神様に祈っています。

続きを読む →

新井秀校長説教集72~山上の変貌~

校長

2022年7月6日(水)

朝 の 説 教

- 山上の変貌 -

『ルカによる福音書』9章28~36節

今日の聖書箇所は「山上の変貌」と呼ばれるところです。「人の子イエス」から「神の子イエス」に劇的に変貌した場面です。イエス様は昨日の聖書箇所で、自らの十字架での死と三日後の復活を初めて弟子たちに打ち明けました。イエス様はその決断を改めて確認し、その上で、弟子の代表に自分が間違いなく神の子であることを示す必要がありました。 続きを読む →

新井秀校長説教集71~12弟子を派遣する~

2022年6月29日(水)

朝 の 説 教

- 12弟子を派遣する -

『ルカによる福音書』9章1~6節

今日はイエス様が12弟子を各地に派遣した記事です。当時は新聞もラジオもテレビもSNSもありませんから、何かを伝えるにはそこまで行って直接人々に語りかける必要がありました。関連の『マルコによる福音書』では、弟子を二人一組にして派遣したと書かれており、私もそう思います。ではペテロは一体誰とペアになったのでしょうか?兄弟のアンデレでしょうか?もしかするとイエス様は筆頭弟子のペテロとやがて自分を裏切るイスカリオテのユダとを組ませたのでは?と勝手な想像をします。徴税人だったマタイと熱心党員だったシモンをペアにしたかもしれません。弟子になる前のマタイはローマ帝国の手先となって税を取りたてていた人間、熱心党のシモンは憎きローマ帝国を滅ぼそうと狙っていた人間です。敵と味方の関係の二人でした。そんな二人をイエス様は敢えてペアにしたかもしれません。勝手な想像ですが興味は尽きません。 続きを読む →

新井秀校長説教集70~ともし火のたとえ~

2022年6月22日(水)

朝 の 説 教

- ともし火のたとえ-

『ルカによる福音書』8章16節

今日は「ともし火のたとえ」で、私は16節に絞って話をします。ここでイエス様が「ともし火」と言っているのは、おそらく当時の狭くて暗い部屋で灯(あかり)として用いられたランプのことでしょう。イエス様の時代、貧しい人の家はたった一間で窓は一つだけ。暗くて風通しの悪い家でした。その暗い部屋を明るくするために朝早くからランプが灯され、寝るまで灯され続けたようです。その灯を、「器で覆い隠したり、燭台の下に置いた入りする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く」筈だとイエス様は言っています。 続きを読む →